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間部詮功
間部詮功(まなべあきよし)は、江戸時代後期から明治時代にかけての士族。旗本としての本所間部家、最後の当主。初めは横山錠蔵と名乗った。 ==生涯== 安政元年(1854年)、寄合・横山錞三郎の五男として生まれる。本所間部家当主・間部詮論の養子に入り、明治2年(1869年)8月、家督と遺領を継ぐ。同年2月には明治政府から総髪にすることを許された。明治3年(1870年)1月、前当主・詮論の代で明治政府に本領安堵されていたすべての知行所が上知され、詮功は士族に編入された。これによって、旗本としての本所間部家は消滅した。 明治4年(1871年)10月、詮功は帰農し平民になる。この時、東京府から禄高五ヶ年分の一時賜金を下付されたが、本所松井町にあった居屋敷は上知された。明治23年(1890年)11月、死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間部詮功」の詳細全文を読む
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