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間部詮芳
間部 詮芳(まなべ あきふさ)は、江戸時代中期から後期の旗本。赤坂間部家当主・間部詮番の長男。妻は越前鯖江藩主・間部詮茂の娘。江戸城西丸殿中にて松平外記に斬られ死亡した(千代田の刃傷)。 ==生涯== 明和3年(1766年)、間部詮番の長男として生まれる。天明2年(1782年)12月、詮芳17歳の時、赤坂間部家の遺領と家督を継ぎ小普請入り。寛政元年(1789年)6月、間部詮茂の娘・輝と結婚。寛政7年(1795年)10月、書院番になり、翌寛政8年(1796年)12月、西丸にて将軍世子時代の徳川家慶に仕えた。 文政6年(1823年)4月22日、西丸書院番詰所二階休息所にて詮芳は松平外記に斬られ重傷を負い、翌々日の4月24日に死亡したという。〔4月24日には下総国の知行所に詮芳が松平外記に斬られて重傷を負ったことが伝達されている。また、詮芳が危篤状態(「殊之外九死一生」)であることしか解っていなかった。(「御用留」利根町教育委員会『利根町史』(2)史料集 利根町、1983年、307頁)〕家督は長男の詮寛が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間部詮芳」の詳細全文を読む
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