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飛鳥井 教定(あすかい のりさだ)は鎌倉時代の公卿、歌人。参議・飛鳥井雅経の子。二条を号す。 == 経歴 == 右兵衛督を経て、建長5年(1253年)従三位に叙され公卿に列す。正嘉2年(1258年)に正三位に叙され、文応元年(1260年)左兵衛督に任ぜられる。弘長3年(1263年)督を止み、散位となる。 鎌倉幕府と関係深かった。また、歌人でもあり『続後撰和歌集』以下に入首している。父から蹴鞠を受け継いだ。 文永3年(1266年)4月8日に腫物を患い薨去。享年57。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛鳥井教定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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