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飛鳥京[あすかきょう] 飛鳥京 (あすかきょう、あすかのみやこ) は現在の奈良県高市郡明日香村一帯にあったと想定される遺跡群の総称。藤原京以降のいわゆる条坊制にならう都市ではなく、戦前の歴史学者喜田貞吉による造語とされる〔2007年 橿考研創立70周年記念 秋季特別展図録「宮都 飛鳥」 〕。 == 概要 == 主に飛鳥時代を中心に、この地域に多くの天皇(大王)の宮が置かれ、関連施設遺跡も周囲に発見されていることから、日本で中国の条坊制の宮都にならって後世に飛鳥京と呼ばれている。飛鳥古京(あすかこきょう)や「倭京」、「古京」などの表記(『日本書紀』)もみられる。君主の宮が存在していたことから当時の倭国の首都としての機能もあったと考えられる。 しかし、これまでの発掘調査などでは藤原京以降でみられるような宮殿の周囲の臣民の住居や施設などが見つかっておらず、全体像を明らかするような考古学的成果はあがっていない。また遺跡の集まる範囲は地政的に「飛鳥京」とよべるほどの規模を持たず実態は不明確であり、歴史学や考古学の文脈での「飛鳥京」は学術的でない。しかし、現在では好事家や観光業などで広く使われ飛鳥周辺地域を指す一般名称の一つとしてよく知られる。 2007年、橿原市周辺の藤原京関連遺跡群と併せて飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)の暫定リスト追加掲載が決まった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛鳥京」の詳細全文を読む
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