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10000メートル競走(いちまんメートルきょうそう )は、10000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。競技会や関係者の間では10000m(10000メートル)や10000と略される場合がほとんどである。400mトラックを25周する。持久力だけではなくスピードも要求され、日本国内では、男女マラソンに次ぐ注目を集める長距離種目である。 距離の長い種目なので、予選・決勝とラウンドを分けずに1つのラウンドで決着がつけられることがほとんどである。その場合、参加選手が多いときは複数の組をタイムで比較して順位付けされ(タイムレース)、参加選手がおおむね50名未満の場合は出場選手全員を一斉にスタートさせること(一発決勝)が多い。1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる二段階スタートという方法が採られる。ちなみに陸上競技においては10000mと10kmは別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。 == 現在の競技状況 == 世界的には男子はエチオピアやケニアといったアフリカ勢が圧倒的に強く、米国や欧州勢がそれを追う展開となっている。近年までアフリカ系選手の独壇場といっても過言ではない様相を呈しており、それ以外の選手がオリンピックで上位入賞するケースは稀で、2012年ロンドンオリンピックでゲーレン・ラップが銀メダルを獲得したのは、白人選手としては1988年ソウルオリンピックのサルヴァトーレ・アンティボ以来、アメリカの選手に限ってみれば1964年東京オリンピックのビリー・ミルズ以来であった。日本人男子選手は比較的に健闘しており、1936年ベルリンオリンピックで村社講平が4位、1964年東京オリンピックで円谷幸吉が6位、1984年ロサンゼルスオリンピックで金井豊と2000年シドニーオリンピックで高岡寿成がそれぞれ7位で、過去4人が入賞を果たしている。 世界的に女子は男子同様にエチオピアやケニアといったアフリカ勢が強く、欧州勢がそれを追う展開で、中国勢も(ドーピングの疑惑がありながらも)上位入賞ができる力量をもっている。日本はそれに続く勢力と考えられており、1990年代半~90年代後半までは、女子トラックの個人種目の中では日本が最も世界のトップレベルの選手と戦えた種目で、1995年世界陸上イェーテボリ大会で鈴木博美が8位、1996年アトランタオリンピックでは千葉真子が5位と川上優子が7位、1997年世界陸上アテネ大会では千葉真子が銅メダルを獲得する快挙を達成。1999年世界陸上セビリア大会では弘山晴美が4位、高橋千恵美が5位にそれぞれ入賞した。当時は世界的な大会で上位入賞も比較的見られ、有望選手も多かった。しかし、その後は停滞期を迎え世界大会で上位入賞は見られなくなったが、2009年世界陸上ベルリン大会で中村友梨香が10年ぶりに7位入賞を果たし、2013年世界陸上モスクワ大会で新谷仁美が5位とメダル圏内に肉薄するなど、以前と比べれば復調の兆しが見えつつある。 この種目でかつてのように日本選手の活躍が多くないのは、日本の長距離界が駅伝などのロードレースに傾倒しすぎであるからとも言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「10000メートル競走」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 10,000 metres 」があります。 スポンサード リンク
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