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100メートル競走(ひゃくメートルきょうそう、)は、100メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技で、短距離走に分類される。「100メートル走」「100m」「100」と省略されて呼ばれることも多い。 == 概要 == 陸上競技場では、メインスタンド前に当競技用の直線セパレートレーンが設置されている。陸上競技の中で人気が高く、花形競技である。特に男子のトップは「人類最速の男」の称号が与えられる。100mを10秒で走ると平均速度は秒速10m、すなわち時速36kmであるが、2008年5月31日に9秒72の(当時の)世界記録を打ち立てたウサイン・ボルトが、100mでは人類で初めて公式に時速37km以上の平均速度で走った〔9秒73が時速37kmの壁である。〕。なお同じスプリント競走で、加速に必要な距離の比率が走行距離に対してより小さい200mでは、1996年にマイケル・ジョンソンが19秒32を記録し、100mよりも先に平均時速37kmを超えている(時速37.27km)。ただ2010年現在では、100mの世界記録における平均速度(時速37.59km)が200mの世界記録における平均速度(時速37.52km)を上回っている。レース中の最高速では、2009年8月16日にボルトが9秒58を記録したレースの65.03m地点で秒速12.27m(時速44.17km)を記録している。 100mで必要とされるのは骨格から生み出される最高速と、最高速により早く到達する加速である。長年にわたって190cmを超えるような長身・大型の選手は大きな加速度を得にくいという点で不利であるとされてきたが、21世紀に入ってからはボルトやアサファ・パウエルら身長190cm台の選手が世界トップに名を連ねるようになってきている。一般的には30mから40mの間に最高速に達し、そのスピードをできるだけ維持しながらゴールに達する。加速力の差で選手は前半逃げ切り型と後半追い込み型の2種類に大別される。元世界記録保持者のモーリス・グリーンのように、本質的には前半飛び出し型であるが、走りの技術に工夫を凝らすことでそれほど後半にスピードの落ちないタイプもいる。逆にボルトのように、後半追い込み型ながら前半の速いタイプもいる。 追い風により加速とトップスピードが向上し、一般に追い風1.0m/sで0.05秒から0.06秒の短縮が可能と言われる〔Wind/Altitude correction in the 100m sprint 〕。そのため、追い風2.0m/sを超える場合は公式記録とはならず追い風参考記録となる。当然のことながら、世界記録の殆どが追い風の状況下で出されている。 風速計測は50m地点のコース脇に設置した風速計で、スタート時点から10秒間計測する〔ただしこの計測方法は10秒以内で走るランナーにとっては、ゴール後に風力が変わって追い風参考記録になる等の不当なことも稀にある。〕(詳細は陸上競技参照)。 また、高所の方が気圧が低いために空気抵抗が少ないため、短距離競技には好記録が出るとされている。しかし、風速と異なり明確な基準はないため「高所記録」と記載されるだけで公式記録として残る(公式記録に「A」と記載される)。 世界的に男子はジャマイカやアメリカ勢を中心としたアフリカ系選手がオリンピックや世界選手権で圧倒的に強く、欧州勢がそれを追う展開となっている。急速にスピード化が進んだ1980年代以降は黒人選手の独壇場といっても過言ではない様相を呈しており、非黒人選手が上位入賞することが非常に困難となっている。中でもアジアの選手の目立った活躍は、1932年ロサンゼルスオリンピックで6位入賞を果たした吉岡隆徳ぐらいであり、以降はアジアの選手の上位入賞は皆無であった。2015年世界陸上北京大会において、蘇炳添が世界選手権ではアジア初となる決勝進出の快挙を果たした(決勝は9位)。 世界的に女子でもジャマイカやアメリカ勢を中心としたアフリカ系選手がオリンピックや世界選手権で上位を占めることが多く、欧州勢がそれを追う展開となっている。男子ほどではないものの、非黒人選手が上位入賞するケースは稀である。アジアの選手の目立った活躍は、1928年5月20日の第15回日本陸上競技選手権大会で当時の世界記録(12秒2)を出した人見絹江と、1968年メキシコシティオリンピックで決勝に進出し7位に入る健闘を見せた紀政ぐらいである(当時、オリンピックの入賞は6位までだった)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「100メートル競走」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 100 metres 」があります。 スポンサード リンク
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