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100エーカーの森 : ミニ英和和英辞書
100エーカーの森[もり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [もり]
 【名詞】 1. forest 

100エーカーの森 ( リダイレクト:クマのプーさん ) : ウィキペディア日本語版
クマのプーさん[もり]

クマのプーさん』()は、1926年に発表されたA・A・ミルン児童小説である。擬人化されたクマのぬいぐるみである「プー」と、森の仲間たちとの日常を10のエピソードによって描いている。1928年には同様の構成をもつ続編『プー横丁にたった家』も発表された。『クマのプーさん』のシリーズはこの二つの物語集と、その前後に発表された二つの童謡集『ぼくたちがとてもちいさかったころ』『ぼくたちは六歳』の計4冊からなっており〔安達 (2002), 8頁。〕〔ただし、後述するように童謡集『ぼくたちがとても小さかったころ』にはまだ「プー」の名前は登場しない。また童謡集『さあ僕たちは六歳』では詩や挿絵の随所にプーや関連キャラクターが登場するものの、それらに限った本というわけではない。以下本項目では『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の二つの物語集を中心に、「プー」と関連キャラクターに関係する限りにおいて2冊の童謡集についても適宜触れる。〕、挿絵はいずれもE.H.シェパードが手がけている。
A.A.ミルンはこの作品を自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていたテディ・ベアから着想している。本作品とそのキャラクターは発表当時からひろく人気を集めており、多数の言語に翻訳されいまなお世界中で読まれている。1960年代からはディズニーによって一連のアニメーション作品が作られ、作品の知名度に大きく貢献した。ディズニー版では「Winnie the Pooh」とハイフンが脱落した表記が使われており、日本では「くまのプーさん」の表記が作品・キャラクター双方で用いられている。
== 成立 ==

『クマのプーさん』は1926年、作者A.A.ミルンが40代のときに刊行された。ミルンはすでに風刺雑誌『パンチ』の副編集長および同誌で活躍するユーモア作家としてのキャリアを経ており、1924年に子供向けの著作としてはじめて手がけた童謡集『ぼくたちがとてもちいさかったころ』(''When We Were Very Young'')〔小田島雄志、小田島若子訳 『クリストファー・ロビンのうた』 晶文社、1978年。『クマのプーさん全集』(岩波書店、1997年)にも所収。〕が高い評価を受けていた〔石井訳『クマのプーさん』 244-245頁(訳者解説)。〕。この童謡集は当時3歳だった自分の息子のためにつくった童謡をあつめたもので、のちに「プー」となる彼のテディベアも「エドワード・ベア」の名称で「テディ・ベア」という詩のなかで顔を見せている(この詩の初出は『パンチ』1924年2月号)〔安達 (2002), 49頁。〕。クリストファーがもう少し成長すると、ミルンは息子のために彼の持つぬいぐるみたちが活躍する物語を構想し、これが『クマのプーさん』のかたちをとった。
ミルン家のテディベアは、もともとベア、テディ、エドワード・ベア、ビッグ・ベアなどさまざまな呼ばれ方がされていたが〔安達 (2002), 53頁。〕、これがさらに「ウィニー・ザ・プー」という名称を持つに至ったいきさつは本作品の序文に書かれている。まず「ウィニー」は、当時ロンドン動物園で公開され人気を集めていた雌のクロクマ(ただし序文では「ホッキョクグマ」と書かれている)「ウィニー」にちなんでいる。もともとは女性名であり、物語の冒頭では語り手がクリストファー・ロビンに“But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだが)と問いかけるシーンがある〔石井桃子の訳では省略されている。〕。「プー」のほうは、もともとはミルン親子がたびたび訪れていたサセックス州ポーリングにいた白鳥につけられていた名前であった。この白鳥の「プー」も『ぼくたちがとても小さかったころ』の中の詩「かがみ」にその名前で登場している〔安達 (2002), 59-61頁。〕。

のちに「プー」となるこのファーネル社製のテディ・ベアは、1921年、クリストファーが1歳のときに誕生日プレゼントとしてハロッズで購入されたものであった〔安達 (2002), 35頁。〕。他のキャラクターのうち、ロバのイーヨーは同年のクリスマスプレゼントとして、子豚のピグレットは隣人からプレゼントされてクリストファーに与えられていた〔安達 (2002), 132頁。〕。執筆が進むと、ミルンは物語に登場させるために新たにカンガルーの親子カンガとルー、トラの子供ティガーのぬいぐるみをハロッズで購入した。登場キャラクターのうち特定のモデルが存在しないのはフクロウのオウルとウサギのラビットだけである〔安達 (2002), 133頁。〕。キャラクターのモデルとなったこれらのぬいぐるみは、ミルンによる「出生証明書」付きで、アメリカ合衆国で長年のあいだ巡回展示が行われたのち、1987年よりニューヨーク公共図書館にて展示保存されている〔スウェイト (2000), 190-191頁。〕。
物語の舞台は、サセックス州に実在する田園地帯をモデルにして描かれている。ミルンは1924年夏、息子が4歳のときに、この地の北のハートフィールド近郊に建てられていた古農家コッチフォード・ファームを買い取って別荘とした。そして改修が済んだ1925年以降、毎週末や復活祭、夏季休暇などのたびに妻子と乳母の4人でこの地を訪れており、クリストファーはいつもぬいぐるみたちを連れてきていた〔安達 (2002), 123-124頁。〕〔猪熊 (1993), 36頁。〕。作品が有名になって以降、アッシュダウンの森は『プーさん』の愛読者が訪れて物語を追体験する観光地となっている(#文化的遺産参照)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クマのプーさん」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Winnie-the-Pooh 」があります。




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