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株式会社大創産業(だいそうさんぎょう)は、100円ショップのザ・ダイソーを運営する企業である。2015年現在、国内に約2,900店舗・日本国外の26の国・地域に1400店舗を展開している〔。 == 概要 == 創業当時、「会社の規模はまだまだ小さいけど、名前だけは大きな物にしよう」という意気込みから、「大きく創る」を「大創」としたのが社名の由来である〔ダイソー豆知識 (ダイソー公式サイト)。なお、社名に「創」の字と、会長である池田大作の「大」の字があるために、創価学会との関連があるのではないかとの噂が一部であるが、会社は取材に対してこれを否定している(学会員も親近感!? "学会系"と噂の企業を直撃!(前編) サイゾー 2008年6月9日)。〕。 元々はスーパーマーケットの駐車場に店舗を構える、移動販売・露天方式の100円ショップを運営していた。1980年頃の100円ショップは、問屋からすべての商品を70円以下で仕入れて100円で売るという状態であったことから商品の質にも限界があり、当時主婦客の一人が「安物買いの銭失い」とつぶやくのを創業者であり社長である矢野博丈が目の当たりにし、それ以来、矢野は仕入れのスタイルを変え、時には98円で仕入れた商品を100円で売ることもあるなど、売価100円の範囲で可能な限り質にこだわった商品構成に変更したことにより「矢野の100円ショップは商品がいい」との評判によって、日本全国から引き合いが増えるようになった〔ダイソー「100円ショップ」躍進の秘密に迫る--その1 富士通 2000年9月6日〕。スーパーマーケットのオーナーからテナントでの出店を誘われたことが、現在のザ・ダイソーのルーツとなる。100円商品は、安価だが品質は劣るという先入観を払拭するため、仕入れ原価が100円に近いものや原価割れしている商品も100円として販売する手法を取った。また、テナント形式の店舗により、顧客はいつでも来店して買い物することができ、商品に問題があった場合は店舗にクレームを申し入れられるようになったため、移動販売に比べて格段の信頼を得ることにもつながった。それらの理由により、屋内の店舗形式による100円ショップを展開していく大きな原動力となった。 1991年3月、同社初めての直営100円均一ショップを、香川県高松市の丸亀町商店街内に開店する〔会社概要 1号店が手狭になったため、至近にあった家電量販店エイコー高松店跡に移転オープンし、店舗名も「高松中央店」となった。なお、エイコーはデンキのダイナマイトの前身となる家電販売会社である。その後も外壁に当時のロゴ跡が残っている。元1号店はしばらくの間後述する高額商品のみを扱う店舗として営業していたが、のちに閉店した。〕。創業時初期は商店街等への出店が多かった。また店舗にはNo.○○とナンバリングをしており、小倉魚町店(No.16)等、現在もその時期の外装で営業する店舗も存在する。 バブル崩壊後の平成不況時代(失われた10年)において、消費者の購買意欲が著しく低下している経済状況が、大創産業を急成長させる大きなチャンスとなり、安価な商品を求める当時の消費者のニーズに見事に応える結果となった。 また、生活に関わる雑貨品を中心に、多岐にわたるジャンルの商品を陳列することによって、「100円ショップ=多数のジャンルの商品がある」とのイメージを付加することにもなった。100円という安価の魅力の他に、一度の来店で多様なジャンルの雑貨が購入できる利便性が、来店者数増加・売り上げ拡大の要因ともなる。 付加価値の高い100円商品を多く揃えられた背景には、平成大不況時代において商品の原価や原材料の市中価格は著しい低水準価格であったことが要因である。この経済状況の他に、製造メーカーや卸売業者から大量の商品や商材を、現金取引で行うことにより、通常の取引よりも仕入れコストの額を抑えていたことも要因である。 そして、積極的な出店を展開し、豊富な商品の品揃えの中で100円均一というスタイルが、近所の評判やメディアを通じて知名度を一気に上げ、ザ・ダイソーは全国区レベルの小売業に成長する結果となった。絶大なる知名度と大不況時代の国民からの支持により、売り場面積1,000 - 2,000坪超の超大型店舗や、アジアやアメリカ合衆国を中心とした日本国外への出店も実現した。 製造メーカーが生産した商品でも、製造メーカー名を伏せて大創産業の社名のみと自社のロゴ(「素材発信」や「ザ○○」など)を明記して自社オリジナル商品仕様にすることにより、単なる小売業ではなく商品開発・管理が特化している企業となり、消費者からは「ダイソーのオリジナル商品」の呼称も多く見受けられるようになり、商品開発力をも持ち合わせる店舗として捉えられることにもなった。 バブル崩壊後の平成不況時代の末期ごろから、「高額商品」という呼称で100円以上の商品の販売が開始された。当初は150円や200円などの、従来の100円商品に多少の付加価値を加えた程度の商品が多く、100円ショップの概念を打ち壊して批判を受けたり疑問を抱かれる不安材料があったものの、100円ショップブームが終焉して経営不振になることを懸念したため、脱・100円ショップ路線を模索する形で実施に踏み切った。これは創業者であり社長である矢野の創業以来の考えであった。 結果的には極端な来店者数の減少を招くことなく、豊富な商品ラインナップにより来店する客が多いことを機軸にして、高額商品を自然な形で定着することができた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大創産業」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Daiso 」があります。 スポンサード リンク
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