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100部隊(100ぶたい)は、大日本帝国陸軍が満州の長春に設置していた、軍用動物の衛生管理・研究などを目的とした部隊のこと。組織上は関東軍に属しており、正式な名称は関東軍軍馬防疫廠。100部隊の名はコードネームである通称号「満州第100部隊」の略に由来しており、同様のコードネームは当時の日本陸軍の全部隊に割り振られていた。終戦時の部隊長であった若松有次郎の名を冠して、若松部隊と呼ばれることもある。 == 概要 == 1936年(昭和11年)8月に、関東軍軍馬防疫廠は発足した〔秦(1999年)、546頁。〕。昭和11年度の兵備改善計画の一環として創設されたもので、人の感染症に関する関東軍防疫部とともに、昭和11年軍令陸甲第14号として裁可された〔秦(1999年)、584頁。〕。1938年2月末時点の所属人員は軍人14人(編制定員54人)と軍属85人で、保有軍馬247頭であった〔関東軍参謀長 東條英機 「関参一発第七七三号 人馬現員表提出ノ件」 1938年4月19日、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C01003342500〕。1945年(昭和20年)8月の日本の敗戦まで、関東軍の隷下部隊として活動を続けた。 正式名の通り、軍馬に代表される軍用動物の衛生管理を任務とした。そのために動物の感染症研究や血清の製造、軍馬移動時の検疫作業などを行っていた。補充馬廠などで軍用動物の衛生管理を行う兵員の教育機関としての役割もあった。 さらに、防疫対策のみならず、敵国の軍用動物や家畜を標的とした攻撃用の生物兵器(細菌兵器)の開発をも進めていたとも言われる。攻撃用の研究かは不明であるが、1937年には所属の軍人・軍属の一部が軍用細菌の試験研究を行っていた〔関東軍司令官 植田謙吉 「関参一発第一八七七号 軍用細菌研究業務従事者命課ノ件報告」 1937年6月22日、JACAR Ref.C04012537400〕。対人用の生物兵器研究機関だったとも言われる関東軍防疫給水部本部(731部隊)とは、密接な協力体制にあったと言う〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「100部隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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