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10秒の壁(じゅうびょうのかべ、英:10-second barrier)は、陸上競技男子100メートル競走において達成困難と考えられていた9秒台に対する記録の壁である。その壁を越えた記録は偉大な短距離選手の証明と見なされている。一方、トレーニング方法や外部環境要因の改善によって1990年代以降9秒台の自己記録を持った選手が増加し、その意義は以前ほど特別なものとは見なされなくなりつつある〔坂巻士朗, 小松やしほ「特集ワイド:ひとはどこまで速く走れるか 750年後、8秒76に!?」『毎日新聞』2008年6月24日東京夕刊、2頁、総合面。〕〔Gardener, Jason(2008-08-09). Jason Gardener: I'm backing Tyson Gay to win one of the greatest 100 metres finals . ''The Daily Telegraph''. 2010年5月12日閲覧。〕。 == 歴史 == 1960年6月に西ドイツのアルミン・ハリーによって10秒0が記録され、これが更新されるまで8年の年月を要した。最初の9秒台は1968年6月20日、ストップウォッチによる手動計時によって記録された。その後、より精密な計測方法の電動計時が採用される過渡期にあった1968年10月14日、アメリカ合衆国のジム・ハインズによって10秒の壁は破られた。ハインズはメキシコオリンピック男子100mで優勝し、この時世界新記録を樹立する9秒95で走破した。この後1977年8月11日シルビオ・レオナルドが9秒98を記録するまで、2度目の9秒台が記録されるのにおよそ9年を要した。これら2つの成績はいずれも高地記録(high altitude)として記録された。 1983年5月14日9秒97を記録したカール・ルイスが、平地で9秒台を達成した最初の短距離選手となった。ルイスに続いてカルヴィン・スミスが1983年7月3日に9秒93の世界新記録を樹立。同年8月にも9秒台を記録し、10秒の壁を2度越えた最初の短距離選手になった。その後1980年代に多くの選手が10秒の壁を破った。そして1991年世界陸上競技選手権大会男子100m決勝は、6人の選手が9秒台の自己新記録で走破し、優勝したルイスが9秒86に世界記録を縮めるなど、10秒の壁が破られた後の新しい世界の頂点を象徴するものとなった。2014年9月現在、ロブソン・ダ・シルバが10秒00の大陸記録を保持する:ja:南アメリカ陸上競技連盟 とリンク -->" TITLE="南米">南米を除いた5つの地域陸連の選手によって、10秒の壁は破られ続けている〔100 metres records . IAAF. 2010年5月12日閲覧。〕。 *1960年6月21日 西ドイツのアルミン・ハリーが10秒0(手動)の世界新記録を樹立し、10秒0に到達する。 *この後8年間で9人の選手が10秒0を記録。 *1968年6月20日 アメリカ合衆国のジム・ハインズ、チャールズ・エドワード・グリーン、ロニー・レイ・スミスが全米選手権準決勝で9秒9(手動)を記録し、10秒の壁を破る9秒9の世界新記録を樹立。電動計時によるハインズの記録は10秒03。 *1968年10月14日 アメリカ合衆国のジム・ハインズがメキシコシティオリンピック100m決勝で9秒95(電動)を記録、10秒の壁を破る。標高2240mで記録された高地記録。初めてオリンピック男子100m決勝進出者全員が黒色人種となる。 *1976年までに8人が9秒9(手動)を記録し、10秒の壁を破る。 *1977年1月 IAAFが記録公認の条件を電動計時に限定。 *1983年5月14日 アメリカ合衆国のカール・ルイスがカリフォルニア州モデストの競技会で9秒97(電動)を記録、平地ではじめて10秒の壁を破る。 10秒の壁が破られた背景には、選手の努力やトレーニング方法の改良とともに、用具や環境の変化が大きな影響を及ぼしたと考えられている。 IAAFは、指定した競技規則に従い超音波風速風向計により計測された追い風2.0m/秒以下の条件下で、電動計時により計測され、かつドーピングによらない成績だけが公認されるとしている〔陸上競技ルールブック2010掲載内容 第3章 ドーピング防止 日本陸上競技連盟. 2010年5月13日閲覧。〕。風速計の不調やルール違反により選手の記録が無効とされることがある〔野村隆宏「[スポーツここが知りたい]陸上競技の追い風参考記録 大ジャンプ「消えた」例も」『毎日新聞』1995年6月2日東京夕刊、6頁、スポーツ面。〕〔芝田裕一「人間はどこまで速く走れるの? 100メートル男子9秒6も夢じゃない」『讀賣新聞』2005年8月6日東京夕刊、7頁、テクC面。〕。1964年東京オリンピック前後から電子計時、1972年ミュンヘンオリンピックからスリットカメラ、1991年世界陸上競技選手権大会ではスリットビデオがそれぞれ導入され、科学的でより正確な判定が行なわれるようになった〔「1000分の1秒にかけた人生 熱いドラマ支えた計時マン 間違えるのは人間だ」『讀賣新聞』1996年7月14日東京朝刊、39頁、社会面。〕〔日本陸上競技連盟七十年史編集委員会(1995)、670-672頁。〕。 1991年世界陸上競技選手権大会では50台以上のビデオカメラが使用され、選手のフォーム、スピードの変化、ストライド、が計測された〔。このような計測結果をもとに科学的な研究が進み、トレーニング方法は改良されてきた。東京大学大学院の深代千之教授は2008年6月24日付毎日新聞で、1991年世界陸上競技選手権を分析した結果、股関節周辺の筋肉の重要性と脚全体をしならせる動きが速く走るために必要な条件であると解説した〔。男子110mハードルの日本記録保持者で筑波大学大学院の谷川聡講師は2008年6月24日付毎日新聞のウサイン・ボルトの世界記録更新の話題の中で精神面が記録に及ぼす影響に指摘し、記録を求めようとすると逆に全力を発揮できない可能性について言及した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「10秒の壁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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