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1101年の十字軍 : ミニ英和和英辞書
1101年の十字軍[せんひゃくいちねんのじゅうじぐん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十字 : [じゅうじ]
  1. (adj-na,n) cross 2. crossed 3. cruciform 
十字軍 : [じゅうじぐん]
 【名詞】 1. Crusades 2. Crusaders
: [じ, あざな]
 【名詞】 1. character 2. hand-writing 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

1101年の十字軍 : ウィキペディア日本語版
1101年の十字軍[せんひゃくいちねんのじゅうじぐん]

1101年の十字軍(せんひゃくいちねんのじゅうじぐん、英語:Crusade of 1101)とは、1100年から1101年にかけて聖地へ向かった十字軍のこと。第1回十字軍エルサレムをはじめとするレバント地域沿岸部の占領に成功したことから、その熱狂の中で組織された。またこの十字軍は第1回十字軍に参加したものの中途で帰ってきた者が多く参加したことから、臆病者の十字軍(小心者の十字軍、英語:Crusade of the Faint-Hearted)とも呼ばれる。3つの集団としてヨーロッパを出発したが、ルーム・セルジューク朝により個別撃破され、聖地にたどり着いたのはごくわずかであった〔The First Crusade and the Idea of Crusading, By Jonathan Simon Christopher Riley-Smith, John Riley-Smith, pg. 132〕。
== 背景 ==
第1回十字軍が成功したことはヨーロッパ各地で熱狂を引き起こし、聖地に新たに誕生した十字軍国家であるエルサレム王国に増援を送ろうという呼びかけが沸き起こった。これに応じたローマ教皇パスカリス2世は新たな遠征軍の編成を企図し、特に十字軍に行く誓いを立てながら出発しなかった諸王や諸侯、第1回十字軍の途中で離脱した諸侯らに協力するよう圧力をかけた。
教皇に限らず、十字軍の途中で故郷へ帰還した諸侯には既に臆病者との軽蔑の声が浴びせられ、再度東方へ遠征しろという有形無形の圧力がかかっていた。例えばアンティオキア攻囲戦の最中に帰国したブロワ伯エティエンヌ2世イングランド王スティーヴンの父)に対して、妻のアデル・ド・ノルマンディー(またはアデル・ド・ブロワ、イングランド王ウィリアム1世の娘)は夫に家に留まることを許さなかったという。さらに第1回十字軍に参加しなかった庶民らも、富める者も貧しい者も聖地に行こうとした。彼らはイエス・キリストの名の下に聖地を不信心者や異教徒から解放しようとし、主の名のために戦うことでその後に来る天国に永遠に憩おうとした。こうした人々は「crucesignati」と呼ばれた〔The Crusade of 1101 〕。また、単純に貧困から逃れる機会を得てより良い生活をつかもうとした人々も多かった。
こうして組織された1101年の十字軍も第1回十字軍同様、一般の巡礼者らが騎士や兵士と一つの集団を形成していた。そして参加希望者が広汎な地域にわたったため、複数の集団を形成して別々に聖地へ向かうこととなった。以下の記述も集団ごとに行うこととする。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1101年の十字軍」の詳細全文を読む




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