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1795年4月10日の海戦 : ミニ英和和英辞書
1795年4月10日の海戦[1795ねん4がつ10かのかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

1795年4月10日の海戦 : ウィキペディア日本語版
1795年4月10日の海戦[1795ねん4がつ10かのかいせん]

1795年4月10日の海戦(1795ねん4がつ10かのかいせん、Action of 10 April 1795)は、フランス革命戦争のさなかに起こった小規模の海戦で、フランス海軍の複数のフリゲート艦が、ブルターニュブレスト封鎖に加わっていた、ジョン・コルポイズ少将指揮下のイギリス海軍戦隊に妨害を受けたものである。3隻から成るフランスの戦隊は数でまさるイギリス軍の目前で分裂し、離れ離れになって、イギリスの追跡から距離を引き伸ばして逃れようとした。この中の1隻グロワールは、イギリスのフリゲート艦に追われ。最終的には接近戦に持ち込まれた。この2隻は大きさはほぼ同じだったが、アストレアはグロワールをほんの1時間ほどで破ることができた。
他のフランス艦もイギリスの戦列艦に追跡された。この追跡はかなり長引き、翌11日の朝になってイギリス艦ハンニバルがフランスのフリゲート艦ジャンティーユを捕獲した。ハンニバルは敵艦よりもはるかに大きく、ジャンティーユの艦長は、無駄な戦いをするよりも即座に降伏する方を選んだ。最後のフランス艦はうまく追跡をかわした。ポーツマスで修理を済ませた後、コルポイズの戦隊はブレスト沖の任地に戻り、その年いっぱいここでの封鎖は続いた。
==歴史的背景==
1795年4月、英仏が交戦を開始してから2年以上が経過しており、海上におけるイギリスの支配はゆるぎないものがあった。イギリス海軍がフランスの主だった軍港の沖合で、艦隊により堅牢な海上封鎖を続けていたからであった。大西洋岸で最も大きな港はブルターニュのブレスト港で、フランスはここから英仏海峡や西大西洋の商船を狙うことができた。商船を襲ううえで最も効率のいい艦はフリゲート艦だった。身軽に素速く動けるため、迅速な攻撃で、相手に反撃させずに打ちのめすことが可能だったからである。イギリスの封鎖艦隊の大きな役割の一つが、軍港から出現するフランスのフリゲート艦の発見と排除であった〔Gardiner, p. 140〕。
当時、ブレスト沖のイギリス封鎖艦隊の沿岸戦隊は、ジョン・コルポイズ少将の指揮下にあった。この戦隊は5隻の戦列艦、、ヴァリアントコロッサス、ハンニバル、ロバストとフリゲート艦とタリアで構成されており、封鎖の効果を上げていた。3月29日、この戦隊はフランスのコルヴェット艦ジャン・バールを捕らえ、その翌日には、行方不明になっていたイギリスの商船を再拿捕した。そして4月10日の午前10時、ブレストへの進入経路の沖合を航行していたイギリス戦隊は、3隻の軍艦が西へ向かうのを認めた 。
コルポイズはすぐさま戦隊に命令してこの3隻を追跡させた。正午になって、その得体のしれない3隻はフランスのフリゲート戦隊であることが分かった。この3隻は36門艦グロワール、ジャンティーユ、そしてフラテルニテで、総指揮官はグロワールの艦長ベンであった。3隻はブレストからビスケー湾に出て、3か月間敵艦襲撃の航海を続けたが、その時点までなんらめぼしい獲物はなく、スペインの商人のブリッグ船を捕らえただけだった〔。ベンはすぐに自分の戦隊に迫っている危機に気付き、3隻にイギリス艦隊からはるかに西の方へ逃げるように命じた。しかし風はコルポイズの戦隊に味方し、敵よりもはるかに優れたこの戦隊は、速やかにフランス戦隊に追いついた。敵の射程内に最初に入ったイギリス艦は、74門艦コロッサスで、指揮官のは、再び両者の間隔が広がる前に、最後尾にいたフランス艦と何とか長距離砲を交わした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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