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1940年アメリカ合衆国大統領選挙(1940ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1940)は、アメリカ合衆国が世界恐慌から浮上し、第二次世界大戦の影で行われた。現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目に出馬して、それが大きな問題となった。共和党の意外な候補者は、一匹狼の実業家ウェンデル・L・ウィルキーであり、ルーズベルトが不況を終わらせられなかったことや、戦争に対して熱心であることに反対したダークホースだった。ルーズベルトは合衆国の強い孤立主義感情を意識しており、彼が再選されれば外国との戦争は無いと約束した。ウィルキーは精力的な選挙運動を展開し、中西部や北東部での共和党の強さを復活することができた。ルーズベルトは労働組合、大都市の政治マシーン、少数民族有権者、および伝統的に民主党が強いソリッドサウスの支持を確立することで、余裕のある勝利を得た。 その後の1947年にアメリカ合衆国憲法修正第22条が成立したことによって、この選挙はアメリカ史の中でも大統領候補が3期目に選ばれたことでは唯一の事例となった(ルーズベルトはその後4期目も選出されたが、4期目の就任間もなく数ヶ月で死亡した)。 == 候補者の指名 == === 民主党の指名 === 民主党の指名候補者 画像:John n garner.jpg|ジョン・N・ガーナー、現職副大統領、テキサス州出身 画像:Hull-Cordell-LOC.jpg|コーデル・ハル、アメリカ合衆国国務長官、テネシー州出身 画像:FDR in 1933.jpg|フランクリン・ルーズベルト、現職大統領、ニューヨーク州出身 画像:Millardetydings.jpg|ミラード・E・タイディングス、メリーランド州選出アメリカ合衆国上院議員 * ジェイムズ・ファーリー、アメリカ合衆国郵政長官および民主党大会議長、ニューヨーク州出身 1940年の冬、春および夏を通じて、ルーズベルトが長い伝統を破り前例のない3期目に出馬するかについて多くの憶測が流れた。「2期」という伝統は合衆国憲法で定められていた訳ではなかったが、1796年に3期目出馬を拒否したジョージ・ワシントン大統領によって確立され、どの大統領も3期選ばれた者はいなかった。しかし、ルーズベルトは再び候補者になる意志があるかについては明確な声明を出すことを拒んでおり、ジェイムズ・ファーリーのような大望ある民主党員には、3期目は出馬しないので民主党の指名をもとめればよい、というようなことを示唆すらしていた。しかし、ナチス・ドイツが西ヨーロッパを席捲し、1940年の夏にはイギリスに脅威を与えるに及んで、ルーズベルトは、ナチスの脅威に対して自分だけが国の安全を見ていくために必要な経験と技術を持っていると決心した。ルーズベルト以外の民主党員では人気のあるウィルキーを破れないと恐れた民主党のボス達にも助けられた 民主党全国大会では、ルーズベルトがフェアリーやジョン・N・ガーナー副大統領の挑戦を容易に斥けた。ガーナーはテキサス州出身の保守派であり、ルーズベルトの革新的な経済・社会政策のために2期目の途中で造反していた。その結果、ルーズベルトは新しい副大統領候補を選ぶことにした。その内閣で農務長官を務め革新的政策の提唱者であるアイオワ州のヘンリー・A・ウォレスが選ばれた。ウォレスについては、彼が効果的な副大統領候補であるにはあまりに急進的であり、私的生活で「変わり者」だと感じていた党保守派の多くに激しい反対があった。しかし、ルーズベルトがウォレスの指名に固執し、ウォレスはアラバマ州出身の下院議長ウィリアム・バンクヘッドと争った指名投票で、626対325という結果で副大統領候補の指名を得た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1940年アメリカ合衆国大統領選挙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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