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1944年アメリカ合衆国大統領選挙(1944ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1944)は、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦して心が奪われているときに行われた。現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトは、過去のどの大統領よりも長くその職に在ったが、人気は衰えていなかった。1940年の選挙時とは異なり、ルーズベルトが民主党候補者としてもう1期の選出を求め出馬することにほとんど疑念は無かった。この年の対抗馬は共和党のニューヨーク州知事トマス・E・デューイだった。デューイは精力的に選挙運動を行ったが、世界大戦の最中に、ルーズベルトが4回目の当選を果たすことに疑問を挟む者はほとんどいなかった。 == 候補者の指名 == === 民主党の指名 === ルーズベルトは人気があり、戦時の現職としてほとんど公然たる反対に遭わなかった。民主党内、特に南部では保守派の数が増えて、ルーズベルトの経済および社会政策に懐疑的な者が増えていたが、敢えてルーズベルトに反対する者はほとんど居らず、容易に再指名された。指名投票の結果は以下の通りだった〔For the Fourth Time - TIME 〕。 * 大統領フランクリン・ルーズベルト 1086票 *ハリー・F・バード 89票 *ジェイムズ・A・ファーリー 1票 党内保守派はルーズベルトの再指名を止めることができなかったが、大統領の外見が明らかに身体的に衰えており、秘密の健康問題という噂もあったので、多くの代議員や党指導者は現職副大統領ヘンリー・A・ウォレスには強く反対した。ウォレスは保守派の多くの者にとって、大統領を継ぐ可能性がある者としてあまりに左翼的であり、変わり者に過ぎた。多くの党指導者が、ウォレスの指名には反対することと、ミズーリ州選出のアメリカ合衆国上院議員で、上院戦時調査委員会の議長として良く知られるようになった中道派であるハリー・S・トルーマンを新しい副大統領候補として提案することを、ルーズベルトに個人的に伝えた。ルーズベルトは個人的にウォレスを好んでおり、トルーマンについてはほとんど知らなかったので、党の結束を維持するためにトルーマンを新しい候補者として受け入れることに躊躇した。それでも、多くの革新的代議員はウォレスを棄てることを拒み、最初の指名投票ではウォレスに票を投じた。しかし、北部、中西部および南部の大きな州の代議員が2回目の指名投票でトルーマンが指名を得るに十分な票を投じた。ルーズベルトの健康が衰え、翌1945年4月には死ぬことになったので、この副大統領指名を巡る戦いは歴史的な意味が大きくなり、トルーマンは合衆国第33代大統領になった。 副大統領指名投票の結果は以下の通りだった〔Richard C. Bain & Judith H. Parris, ''Convention Decisions and Voting Records'' (Washington DC: The Brookings Institution, 1973), pp. 266-267〕。 ルーズベルト大統領はダグラス・マッカーサー将軍と軍事戦略を協議するために南太平洋に旅し、党大会には出席しなかった。このために、20世紀で大統領候補者が全国党大会を欠席したことでは最後の機会となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1944年アメリカ合衆国大統領選挙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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