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1945年の日本の女性史(1945ねんのにほんのじょせいし)では、1945年(昭和20年)の日本における女性に関するできごとを時系列的に挙げる。参考文献は日本の女性史年表を参照のこと。 :本項目は歴史研究としての女性史ではなく、日本における女性に関するできごとをある体系に基づいて述べようとするものではない。 太平洋戦争終結以降 == 8月 == * 8月15日 ポツダム宣言受諾降伏、太平洋戦争終焉。この戦争による戦争未亡人50万人以上。 :終戦時、勤労動員により産業に従事していた者の内、女子挺身隊47万2573人。(鉄道員・バス運転手等の職種を含む)女子肉体労働者313万人。 * 8月17日 工場等の学徒動員生徒について文部厚生両次官名で動員解除の通牒、男子生徒には晴耕雨読の教育を、女子生徒は原則的には授業を行わず父兄の膝下に、と。 * 8月17日 ソ連軍の無差別攻撃に追い詰められた樺太の太平炭鉱病院で看護婦6人が自決。 * 8月16日 九州総監府、各県に「血の純血を保つため婦女子を逃がせ」と通報。 * 8月18日 内務省、占領軍向慰安施設設置指令、特殊慰安施設協会 (RAA:Recreation and Amusement Association) を設置。占領軍向け慰安婦を募集。東京で33ヶ所、1360人の女性が登録。ほか約20の都市でも。日本勧業銀行(当時は政府運営)、仲買業者に前払金3,000万円(現在の価値およそ70億円)を用意。 * 8月- 神奈川県で、鉄道、横浜市電、県庁、横浜市役所などで女子従業員が相次いで解雇される。 * 8月19日 神奈川県、横浜など都心部の子女に疎開するよう奨励。 :浮き足立って一家を挙げて疎開する者が続出、交通機関が混乱するほどの事態に。女子従業員の大量解雇も引き金に。県警察部長談「男子勤労学徒を新たに採用するために女子は不用となるので整理したまでであり…軽挙妄動は慎しめ」(昭和20年8月19日付け「東京朝日新聞」より)。 ::この当時、国民にむかって諸々の指示を出すのは、国や地方の政府よりも、各地の警察組織だった。 *8月19日 千島列島の占守島から日魯漁業の女子工員が26隻の独航船で脱出。1隻を除いて無事北海道に到着。前日上陸したソ連軍に対し、日本軍が自衛戦闘を継続中だった(占守島の戦い参照)。 *8月20日 ソ連軍の攻撃を受けた樺太の真岡郵便局で女性電話交換手9人が青酸カリで自決(真岡郵便電信局事件)。 * 8月22日 東京都教育局、各学校に通達。中等学校動員生徒で、男子は農作業とともに、学校に復帰し授業では科学を重視、女子はしつけ教育のため家庭へ戻るようと。女子各種学校のほとんどが授業を休止。 * 8月23日 占領軍進駐を前に、内務省、"心得"を各地方庁を通じて通知、「婦女子の独り歩きは控えよ」など。 * 8月25日 戦後対策婦人委員会結成、市川房枝・山高しげり・赤松常子ら 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1945年の日本の女性史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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