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1948年アメリカ合衆国大統領選挙(1948ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1948)は、1948年11月2日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙である。 アメリカ史の中でも最大の番狂わせが起こった選挙と多くの歴史家から言われていて、あらゆる予測(世論調査を行っていようといまいと)では、現職大統領で民主党のハリー・S・トルーマンが共和党候補のトマス・E・デューイに敗れるとしていた。トルーマンは所属する民主党の3分裂を克服して勝利した。トルーマンの驚くべき勝利によって、民主党は大統領選挙で5回続けて勝利した。トルーマンの選出は民主党の多数党としての立場を確立させ、この状態は保守派の再編となった1968年の選挙まで続くことになった。 == 候補者の指名 == === 共和党の指名 === 共和党の指名候補者 画像:Thomas E. Dewey.jpg|トマス・E・デューイ、ニューヨーク州知事 画像:Herbert Emery Hitchcock.jpg|ハーバート・E・ヒッチコック、元サウスダコタ州選出アメリカ合衆国上院議員 画像:Douglas MacArthur smoking his corncob pipe.jpg|ダグラス・マッカーサー、アメリカ陸軍将軍、アーカンソー州出身 画像:Harold E. Stassen.jpg|ハロルド・スタッセン、元ミネソタ州知事 画像:Arthur H. Vandenberg.jpg|アーサー・ヴァンデンバーグ、ミシガン州選出アメリカ合衆国上院議員、上院臨時議長 画像:Earl Warren Portrait, half figure, seated, facing front, as Governor.jpg|アール・ウォーレン、カリフォルニア州知事 画像:Robert a taft.jpg|ロバート・タフト、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員 * ライリー・A・ベンダー、実業家、イリノイ州出身 * ジョセフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア、アメリカ合衆国下院議長、マサチューセッツ州出身 * エドワード・マーティン、元ペンシルベニア州知事 * レブレット・ソルトンストールマサチューセッツ州選出アメリカ合衆国上院議員 2大政党は第二次世界大戦で最も人気を博した将軍であるドワイト・D・アイゼンハワー将軍に食指を動かした。1948年ではアイゼンハワーの政治的見解は不明だった。彼は後の出来事でわかったように中道の共和党員だったが、1948年にはいかなる政党の指名もきっぱりと断った。 アイゼンハワーが断ると、共和党の候補指名争いはニューヨーク州知事トマス・E・デューイ、元ミネソタ州知事ハロルド・スタッセン、ダグラス・マッカーサー将軍、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員ロバート・タフトおよびカリフォルニア州知事アール・ウォレンが有力となった。デューイ知事は1944年の共和党候補であり、予備選挙が始まった時に1番手と目された。デューイは1946年の選挙で共和党が東部で力強く躍進した時の指導者と認められており、ニューヨーク州知事としては州の歴史の中でも最大の票差で再選されていた。デューイの欠点は多くの共和党員に嫌われていたことだった。彼を観察する者には冷たく、堅物で見下したような印象を与えた。タフトは共和党保守派の指導者だった。彼は1947年に民主党の国内外交両政策を攻撃することで選挙運動を開始した。外交政策において、タフトは孤立主義であり、タフトが占領下のドイツにモーゲンソー・プランを実行し、それによってヨーロッパ経済を破綻させ、(タフトの見解では)マーシャル・プランという形で合衆国の税金での救済を要求するようになると非難した〔Time magazine 〕。国内問題では、タフトとその仲間の保守派が、1930年代に作られたニューディール政策の社会福祉計画の多くを廃止しようとしており、これらの計画は実業界の利益にとって金を遣いすぎ有害だと見なした。タフトには2つの大きな弱みがあった。精彩の無い鈍感な候補者であり、党指導者の大半からはあまりに保守的すぎて論議が多く大統領選挙には勝てないと見られていた。タフトの支持基盤は出身地の中西部と南部の一部に限られていた。 1948年の「意外な」候補者は、ミネソタ州政界の元「天才少年」スタッセンだった。スタッセンは31歳の若さでミネソタ州知事に選ばれ、1943年には知事職を辞めて第二次世界大戦ではアメリカ陸軍で従軍した。1945年には国際連合を創設する委員会で働いた。スタッセンは共和党の指名候補の中では最も「革新的」と広く認められていたが、予備選挙が進むにつれて、多くの問題で曖昧だと批判されるようになった。スタッセンはウィスコンシン州とネブラスカ州の予備選挙でデューイを破り、1番手に浮上した。続いてタフトの出身州であるオハイオ州でタフトを破ろうとして、戦略的な誤りを犯した。スタッセンは、タフトの出身州でタフトを破れば、タフトは指名争いを諦めることになり、タフト支持の代議員の大半がデューイではなくスタッセン支持に回るものと考えた。しかし、タフトがオハイオ州では勝利し、スタッセンは党保守派から嫌われるようになった。それでもスタッセンは近付きつつあるオレゴン州予備選挙の世論調査ではデューイをリードしていた。しかし、デューイはオレゴン州で負ければ指名のチャンスは無くなると認識して、その力強い政治組織をオハイオ州に送り込み、大金を遣ってオレゴン州での選挙宣伝を行った。スタッセンもラジオの全国放送でのデューイとの討論に同意し、これが初めての大統領候補者同士のラジオ討論 となった。討論での唯一の問題はアメリカで共産党を非合法にするか否かに関してであった。スタッセンは、その革新的だという評判にも拘わらず、共産党を非合法化することに賛成であり、デューイはそれに反対する議論を展開することになった。ある時点でデューイは「あなたは銃で概念を撃つ訳にはいかない」と述べたことで有名になった。観察者の大半は討論の勝者をデューイとした。数日後のオレゴン州予備選挙でデューイがスタッセンを破った。この時点以降、ニューヨーク州知事(デューイ)は、党の2回目の指名を得るために必要な気運を得た。 予備選挙での一般投票結果は以下の通りだった〔Our Campaigns - US President - R Primaries Race - Feb 01, 1948 〕。 * アール・ウォレン - 771,295 (26.99%) * ハロルド・スタッセン - 627,321 (21.96%) * ロバート・タフト - 464,741 (16.27%) * トマス・E・デューイ - 330,799 (11.58%) * ライリー・A・ベンダー - 324,029 (11.34%) * ダグラス・マッカーサー - 87,839 (3.07%) * レブレット・ソルトンストール - 72,191 (2.53%) * ハーバート・E・ヒッチコック - 45,463 (1.59%) * エドワード・マーティン - 45,072 (1.58%) * 非拘束代議員 - 28,854 (1.01%) * アーサー・ヴァンデンバーグ - 18,924 (0.66%) * ドワイト・D・アイゼンハワー - 5,014 (0.18%) * ハリー・S・トルーマン - 4,907 (0.17%) * ヘンリー・A・ウォレス - 1,452 (0.05%) * ジョセフ・W・マーティン - 974 (0.03%) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1948年アメリカ合衆国大統領選挙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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