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1954年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第6回大会である。5月にフランスのランス・グーで開幕し、スペインのモンジュイックで開催される最終戦まで全9戦で争われた。 == シーズン概要 == 1954年シーズンは前年同様の全9戦となったが、フランスGPの開催地がルーアンからランス・グーに変更になり、前年コースの安全性を巡ってボイコット騒動が起きたドイツGPはショッテンリンクから一昨年までのソリチュードに戻った。また第3戦アルスターGPの500ccクラスは悪天候のために179kmを走ったところで中断され、レース成立に必要な最低走行距離200kmに満たなかったために選手権ポイントの対象から除外された〔『二輪グランプリ60年史』(p.31)〕。各クラスの勢力図は前年からほとんど変化がなく、全クラスで前年と同じメーカーのマシンが、そして250ccから500ccまでの3クラスで前年と同じライダーがチャンピオンとなっている。伝統的にマン島にはワークスとして出場してこなかったジレラは、この年初めてマン島にワークス・チームを送り込んだ〔『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.32)〕。 前年にデビューしたBMWのストリームライナーに端を発し、各メーカーがオートバイの空力に関する試行錯誤を始めたのがこの年である。この流れをリードしたのはファクトリーに風洞を持っていたモト・グッツィで、前年の終わりにデビューした新型4気筒マシンはダストビン・フェアリングと呼ばれるカウリングでフロントホイールまで包み込まれていた。カウリングを使用することに無関心だったAJSを除くMVアグスタやNSU、ジレラ、ノートンといった他のメーカーもこの流れに追従して様々な形状のカウリングをテストし、NSUのイルカのくちばしが突き出たような形状のカウリングはドルフィン・フェアリングの異名をとった〔『二輪グランプリ60年史』(p.33)〕。タイトルを獲得したジレラの500ccマシンは、ダストビン・フェアリングの効果もあって最高速度240km/hに達していた〔。 まだまだレーシングマシンとしてのスタンダードと言えるようなメカニズムは確立されておらず、各社は空力以外でも様々な試みを繰り返していた。モト・グッツィは2レースで4気筒の500ccマシンを走らせたが、やがて単気筒に戻していた〔『二輪グランプリ60年史』(p.30)〕。ノートンはそのモト・グッツィが350ccで成功していた水平単気筒エンジンを試作したが日の目を見ることはなかった。NSUの単気筒125ccや2気筒250ccは12,000rpm以上の回転数を実現している。その一方でシーズン中に主任設計者を失ったノートンとAJS、そしてエースライダーを事故で失ったNSUがこの年限りでワークス活動を中止したが、市販レーサーの開発と販売は翌年以降も継続している〔〔。 この年、ホンダの本田宗一郎が初めてマン島TTに視察に訪れた。この年の3月にマン島に出場して勝利を目指すという「TT宣言」を発表した本田だったが、本場のグランプリやGPマシン、中でもこの頃小排気量クラスで圧倒的な強さを誇っていたNSUチームにショックを受け、日本では手に入らないヨーロッパ製の最新パーツを山ほど日本に持ち帰った〔天野久樹『浜松オートバイ物語』(1993年、郷土出版社)ISBN 4-87665-042-X(p.144 - 146)〕。ホンダが今度はヨーロッパのメーカーのライバルとしてマン島に戻ってくるのは、この時から5年後ののことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1954年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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