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1955年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第7回大会である。5月にスペイン・モンジュイックで開幕し、イタリア・モンツァで開催される最終戦まで全8戦で争われた。 == シーズン概要 == 6月、4輪のル・マン24時間レースでメルセデスが観客席に飛び込んで爆発炎上し、ドライバーと観客81名が死亡するという事故が起きた。このモータースポーツ史上最悪の大惨事の影響は大きく、各国でモータースポーツを危険視する声が高まり、スイスでは国内でのレース開催を禁止する法案が可決された。このためにロードレース世界選手権が始まった時からその1戦に加えられていたスイスGPもこの年から開催されなくなり、この年の選手権は前年より1戦少ない全8戦で争われた。また、開催地が転々としていたドイツGPはこの年初めてニュルブルクリンクの22.8kmの北コースが舞台となった。 オランダGP(ダッチTT)では、スターティングマネーを低く抑えられてきたことでプロモーターに対する不満が燻っていたプライベート・ライダーたちが行動を起こした。要求が受け入れられなかった彼らはレースをボイコットすると宣言し、350ccクラスがスタートすると十数人のライダーがパレードのようなスロー走行で1周した後にピットインしてしまったのである。さらにジレラのワークスライダーであるジェフ・デュークとレグ・アームストロングがプライベーターたちを擁護した(ただし、2人はレースのボイコットには反対だった)ため騒動が500ccクラスにまで波及するのを恐れた主催者側は話し合いに応じ、スターティングマネーの増額を認めた。こうして騒動は収まったに見えたがこの年のシーズン終了後の11月、FIMはデューク、アームストロングを始めとする争議に加わったライダーたちに対する処分を発表、翌年の1月1日から6ヶ月間の世界選手権への出場を禁止した。これにより、デューク、アームストロングとジレラは1956年シーズンの開幕戦からの2戦を欠場せざるを得なくなったのである〔『二輪グランプリ60年史』(p.37)〕〔『The 500cc World Champion』(p.33、34)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1955年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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