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1957年のル・マン24時間レース(''24 Heures du Mans 1957'' )は、25回目〔『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。〕のル・マン24時間レースであり、1957年6月22日から6月23日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。 == 概要 == ジャガーは1957年2月12日夜にブラウンズ・レイン工場が火事になり〔『ワールド・カー・ガイド12ジャガー』pp.49-70「ジャガー・カーズの誕生」。〕、ワークスチームは撤退〔しながらもエキュリー・エコスチームがマシンを譲り受けて参戦〔、3,442cc〔『ル・マンの英国車』pp.141-144「TECHNICAL INFORMATION ON THE BRITISH CARS AT LE MANS」。〕エンジンを積んだ仕様15号車、16号車、17号車〔に加え、一部のDタイプに3,780ccエンジン〔を積んだ仕様を製作して3号車4号車として投入した〔。 出走したのは54台〔『ル・マンの英国車』pp.64-67「1957」。〕〔『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。〕〔。フェラーリやマセラティが有力視されていた。 大排気量のV型12気筒エンジンを積んだフェラーリが4分を切る3分58秒7の周回記録を出すなど速さを見せてトップを走った〔『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。〕が、いずれもエンジントラブルでリタイヤとなった〔。 完走したのは20台〔〔。 ロン・フロックハート(''Ron Flockhart'' )/アイヴァー・ビューブ(''Ivor Bueb'' )組のジャガー・Dタイプ3号車〔が24時間で4397.108km〔〔〔を平均速度183.217km/h〔〔で走って優勝し1955年からの3連勝を達成した。1951年1953年とあわせて優勝5回はベントレーに並び当時のメーカー最多勝タイとなった。しかしこれはジャガー全盛期最後の年であり、この後1988年のル・マン24時間レースまでしばらく優勝争いから遠ざかった。
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