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1963年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第15回大会である。5月にモンジュイック・サーキットで開催されたスペインGPで開幕し、鈴鹿で開催された最終戦日本GPまで、全12戦で争われた。 == シーズン概要 == 前年に完成した鈴鹿サーキットで開催される日本GPが最終戦として加わり、この年の選手権は全12戦となった。ただし12戦開催されたのは125ccクラスのみで、フランスGPでは250ccクラスが悪天候によりキャンセルされた。また日本GPの350ccクラスは出走台数の不足により、選手権ポイント対象外となった〔『日本GPの興奮』 - Hondaホームページ 〕。 この年、以来グランプリから遠ざかっていたジレラのマシンが、かつてのチャンピオンであるジェフ・デューク率いるスクーデリア・デュークとして500ccクラスと350ccクラスに戻ってきた。しかしこれは純然たるワークスチームではなく、マシンはジレラ・ワークスの最後の参戦となった1957年の仕様のままで、ジレラからのファクトリーとしてのサポートはメカニック2人を派遣したのみだった。1957年のジレラ撤退以来ライバル不在となったMVアグスタのマシンがほとんど進化していなかった500ccクラスではいい勝負を見せたスクーデリア・デュークだったが、350ccクラスではホンダやヤワといった新たな勢力にも遅れをとり、資金不足やライダーの怪我にも泣かされて1シーズンのみで活動を終えることになった〔『二輪グランプリ60年史』(p.69)〕。 前年活動を休止していたヤマハは大幅に戦闘力を向上させた新型マシンとともにグランプリに復帰し、わずか数戦ながら250ccクラスでは印象的な走りを見せてこれが翌シーズンの活躍につながることになる〔『YAMAHA RACING GLORY Since1955』(2009年、八重洲出版)ISBN 978-4-86144-133-2(p.42)〕。一方、翌年からの4輪F1参戦の準備を始めていたホンダはこの年は予算や人員をF1に割くために2輪のワークス活動は縮小し、その代わりに市販レーサーで参加車両の減少を補うという体制だった〔『Honda Motorcycle Racing Legend vol.3』(2009年、八重洲出版)ISBN 978-4-86144-143-1(p.147)〕。 また、1950年代前半から多くのプライベーターたちの活動を支えてきたノートンの単気筒マシン、ノートン・マンクスは、この年の10月に生産を終了した〔『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.56)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1963年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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