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1970年のボーラ・サイクロン(英:1970 Bhola cyclone)とは、1970年11月12日に東パキスタンのボーラ地方(今日のバングラデシュ)とインドの西ベンガル州を襲ったサイクロンである。ベンガル・デルタ地帯の標高が低い島々が高潮に襲われ、これを主な原因としてもっとも控えめな見積でも20万5000人以上、最大50万人と推定される人命が失われ、サイクロンとしては史上最大級の犠牲者を出した。近代以降の自然災害全般の中でも最悪のものの一つである。この被害が余りに激甚であったことが直接的な契機の一つとなって、以後パキスタンは内戦状態に陥り、翌年バングラデシュが独立した。 == 総説 == このサイクロンは1970年の北インド洋サイクロンとしては6番目のもので、11月7日にベンガル湾中央付近で発生した後、勢力を強めつつ北上し、カテゴリー3ハリケーンに相当する勢力に達した。11月12日には最盛期となって風速 51m/s〔1分間の平均風速。日本の気象庁は10分間の平均を用いており、同じ風を計測した場合は、条件にもよるが後者の方がかなり(おおよそ3割程度)小さな値になる。〕となり、同夜に東パキスタン沿岸に上陸した。これによる高潮は沖合の島々を根こそぎにしてしまい、地域の村々を一掃し農業と漁業に壊滅的な被害を与えた。最大の被害を出したのはタズムッディンで、人口167,000のうち実に45%以上が死亡した。 東パキスタンの政治指導者と国際社会は、被害発生に続く災害救助活動についてパキスタン政府が消極的であった事を激しく非難した。この結果12月の普通選挙にて野党のアワミ連盟が東パキスタンで地滑り的圧勝を収め、翌1971年には東パキスタンと中央政府間の政争が激化して遂にバングラデシュ独立戦争が勃発、同年12月には第3次印パ戦争へと拡大し、結果として新国家バングラデシュが建国された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1970年のボーラ・サイクロン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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