|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 年 : [ねん, とし] 1. (n-adv,n) year 2. age ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 世界 : [せかい] 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe ・ 世界選手権 : [せかいせんしゅけん] (n) world (an international) championship (title) ・ 選 : [せん] 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing ・ 選手 : [せんしゅ] 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team ・ 選手権 : [せんしゅけん] 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion ・ 手 : [て] 【名詞】 1. hand ・ 権 : [けん, ごん] 1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something)
1976年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第28回大会である。4月にフランスのル・マンで開幕し、モンジュイック・サーキットで開催された最終戦スペインGPまで、全12戦で争われた。 == シーズン概要 == この年、選手権のポイントシステムが大きく変更された。全てのクラスでシーズンを前半と後半に分け、それぞれのベストリザルト3戦分のポイントを有効とする変則的な有効ポイント制となったのである〔『二輪グランプリ60年史』(p.120)〕。しかし、このポイントシステムが適用されたのはこの1シーズンのみに終わった。 前年、ジャコモ・アゴスチーニの手によって500ccクラスタイトルを獲得したヤマハだが、オイルショックの影響によってこの年のワークス活動を休止した。そして前年ついに長年守り続けたタイトルを失ったMVアグスタも、経営状態の悪化を理由にチームを解散した〔『サーキットの軌跡 世界ロードレースGPの歴史』(p.135 - p.138)〕。一方のスズキは、チームの運営はイギリスなどのヨーロッパ現地法人に任せて日本の本社からはアドバイザーを送り込む形にし、負担を減らすとともに日本での開発ペースを上げられるように大幅に体制を変更した〔吉村誠也『SUZUKI RGΓ Archive 1974 - 1986』(2007年、大日本絵画)ISBN 978-4-499-22935-7(p.9 - p.10)〕。同時にスズキは前年型のワークスマシンをベースにした市販マシン(名称はワークスマシンと同じRG500だった)をリリースし、ヤマハやMVアグスタの撤退によって乗るマシンを失ったアゴスチーニやフィル・リードをはじめとする多くのライダーがこぞってこの市販RGを購入した結果、この年の500ccクラスはランキング上位の大半をスズキのマシンに乗るライダーが占めることとなった〔『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.100)〕。 この年はまた、マン島TTレースがグランプリの1戦として行われた最後のシーズンでもあった。1907年に第1回大会が開催され、にロードレース世界選手権がスタートした時にはその開幕戦となった最も伝統的なモーターサイクルレースであるマン島TTだったが、1周60kmのマウンテン・コースはマシンの性能向上によるスピードアップとコース自体の老朽化によって危険なコースとなり、2台ずつのインターバル・スタートといった異質な要素も加わって近年では近代的なサーキットでのレースに慣れたグランプリ・ライダーたちからは出場を敬遠される傾向にあった。そしてこの年の終わり、FIMはマン島TTを世界選手権のカレンダーから外すという決断を下し、翌年からマン島TTは市販車ベースのマシンによるナショナルレースイベントという独自の道を歩むことになるのである〔大久保力『百年のマン島 - TTレースと日本人』(2008年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0407-2(p.434 - p.446)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1976年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|