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1977年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第29回大会である。3月にベネズエラのサン・カルロス・サーキットで開幕し、シルバーストン・サーキットで開催された最終戦イギリスGPまで、全13戦で争われた。 == シーズン概要 == ポイントシステムが前年の変則的な有効ポイント制から再び変更され、全レースのポイント合計でタイトルが争われることになった。これ以降、この全ポイント累積方式はを除いて今日まで続いている〔『二輪グランプリ60年史』(p.122 - p.123)〕。また、この年は世界選手権から外れたマン島TTに代わってイギリスGPがカレンダーに加わった最初の年でもある。アップダウンの激しいマン島のマウンテンコースとは打って変わり、イギリスGPは飛行場の跡地に作られた高低差のほとんどないシルバーストン・サーキットが舞台となった〔大久保力『百年のマン島 - TTレースと日本人』(2008年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0407-2(p.436 - p.437)〕。更にこの年からベネズエラGPが新たに加わり、世界選手権は全13戦となった。その一方、オーストリアGPの350ccクラスでは死亡者が出る多重クラッシュのために決勝レースは中止となり、その直後の500ccクラス決勝レースではコースの安全性に対する抗議のためにほぼ全てのトップライダーがレースをボイコットするという事態になった〔。 1977年は、15回ワールドタイトルを獲得したジャコモ・アゴスチーニがグランプリを走った最後のシーズンとなった。前年はワークス活動を休止したヤマハがグランプリに復帰し、再びYZRを得たアゴスチーニだったが500ccクラスで2位が2回、350ccクラスで2位が1回とついにこの年は1勝も挙げることができず、今シーズンを最後に引退することを決意したのである〔。アゴスチーニが残した15の世界タイトルと122のGP優勝という記録は、その後も誰にも破られていない〔『二輪グランプリ60年史』(p.121)〕。 ヤマハ、スズキに続き、日本のカワサキがこの年からグランプリに復帰してきた。すでにこの頃アメリカのレースや耐久レースで一定の活躍していたカワサキは、1975年にはタンデムツインという特異なエンジンレイアウトの250ccロードレーサーをアメリカのAMAレースにデビューさせており、このKR250が充分な戦闘力を持つまでに熟成されたと見ていよいよこの年のグランプリ250ccクラスに打って出たのである。マシントラブルに悩まされて安定した戦績は残せなかったもののデビューレースでポールポジションを獲得した上に早くも2勝を挙げるなどKR250は参戦初年度から速さを発揮し、更にこの年にはKR350の開発もスタートさせていたカワサキは翌年から中排気量クラスを席巻することになる〔柏秀樹『カワサキモーターサイクルのすべて』(1987年、池田書店)ISBN 4-262-14305-8(p.254 - p.271)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1977年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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