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1977年の日本シリーズ(1977ねんのにっぽんシリーズ、1977ねんのにほんシリーズ)は、1977年10月22日から10月27日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツとパ・リーグ優勝チームの阪急ブレーブスによる第28回プロ野球日本選手権シリーズである。 == 概要 == 上田利治監督率いる阪急ブレーブスと長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツの2年連続の対決となり、阪急が4勝1敗で勝利し、3年連続3度目の日本一。前年初めて巨人を破った阪急は福本豊、加藤秀司、大橋穣、ボビー・マルカーノ、島谷金二、山田久志らを中心に充実した戦力に自信もつけ、巨人を寄せつけなかった。特に阪急のチーム盗塁数は8(トップの福本豊は4盗塁)。これに加え、後述の簑田浩二の好走塁など機動力を発揮した。 シリーズの分岐点になったと野球メディアや評論家の大勢が指摘したのは阪急の2勝1敗で迎えた第4戦、阪急の9回表の攻撃である。1-2とリードされた9回表の阪急の攻撃も簡単に2死となり、巨人が勝利を収めて2勝2敗のタイに持ち込むかという状況から阪急が同点、逆転につなげて勝利を収めた。9回二死から代打・藤井栄治が四球で出塁。続く代打・高井保弘の打席で、藤井の代走・簑田が二塁へ盗塁を決める。高井は浅い左前安打を放ち簑田は本塁へ突入、巨人守備陣も左翼二宮至→三塁高田繁→捕手吉田孝司と完璧な中継プレーを見せるが、簑田が吉田のタッチを避けて左手でホームベースに触れる絶妙なスライディングで同点とし〔簑田浩二「77年日本シリーズ、好走塁の真相」 - Sports Communications(2011年7月11日)〕、続く大橋穣が勝ち越しタイムリーを放って逆転し、さらに追加点を挙げて一気に4点を奪う攻撃を見せた。結局阪急が5-2と勝利を収めて対戦成績を3勝1敗として日本一に王手をかけ、次の第5戦で日本一を決めた。 巨人監督の長嶋は、選手として5回にわたって阪急を破って日本一( - 、、)に貢献しているが、監督としては一度も阪急を破ることができなかった。また、阪急は「阪急ブレーブス」としての最後の日本一となった。次の日本一まで19年の月日を要することとなるが(球団名はオリックス・ブルーウェーブ)、相手は奇しくも本シリーズと同じく読売ジャイアンツで、監督も長嶋であった。 また、王貞治にとっては選手として最後の日本シリーズとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1977年の日本シリーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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