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1978-1979シーズンのNBAは、NBAの33回目のシーズンである。 == シーズン前 == === ラリー・バードの指名 === ドラフトではバハマ人のマイカル・トンプソンがポートランド・トレイルブレイザーズから非アメリカ人としては初となる全体1位指名を受けている。ほか、マイケル・レイ・リチャードソン、レジー・スース、マイク・ミッチェル、モーリス・チークスらが指名を受けている。 この年、NBA史において極めて重要な指名がされる。インディアナ州立大学所属のラリー・バードが、ボストン・セルティックスから全体6位指名を受けたのである。ただし、当時大学3年生だったバードは大学に残る意思を示しており、本来ならドラフトにはエントリーできない選手のはずだった。しかし是が非でもバードを欲したセルティックスは、業界随一の敏腕GMであるレッド・アワーバックが制度の盲点を突き止めた。セルティックスの活路はバードの学歴にあった。バードは最初インディアナ大学に進学したがすぐに退学し、その後ノースウッド大学という短期大学に1年間在籍していたのである。そのため3年生のバードは大学に4年間通ったことになり、大学でのプレイ資格4年間を全うしたとして、指名に漕ぎ付けたのである。 バードはもう1年大学でプレイするため、セルティックスへの入団は翌シーズンに持ち越された。もっともこの1年の空白がNBAにとっては有利に働いた。バード率いるインディアナ州立大学はこのシーズンNCAAトーナメント決勝まで勝ち進み、ここでバード生涯のライバル、マジック・ジョンソン率いるミシガン州立大学と初対決するのである。この試合はNCAA史上最高勝率を収めるほどの高い注目を集めた。バード対マジックという当時最高のカードを、NCAA決勝という最高の舞台で全米に向けてアピールできた、NBAにとっては最高のプロモーションとなったのである。 ラリー・バードの指名はその後のNBAの人気復活の試金石となった。翌シーズンにはマジック・ジョンソンがロサンゼルス・レイカーズに入団するが、バードがセルティックスに、ジョンソンがレイカーズに、それぞれ東西を代表する名門チームに入団したことも両者のライバル関係を煽り、当時人気低迷に喘いでいたリーグ全体を大きく盛り上げ、やがて訪れるNBA黄金期へと繋がっていく。全てはアワーバックによるラリー・バード指名から始まったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1978-1979シーズンのNBA」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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