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1982年サンマリノグランプリは、1982年のF1世界選手権第4戦として、1982年4月25日にイタリアのイモラ・サーキットで行われた。 == 概要 == 第2戦ブラジルGPで優勝したネルソン・ピケ(ブラバム)と、2位のケケ・ロズベルグ(ウィリアムズ)のマシンに搭載された水タンク〔走行中に水を噴射してマシンの重量を減らし、レース後に水を注入して最低重量をクリアするというもの。〕に対してFISA(国際自動車スポーツ連盟)側が抗議。この時点では抗議は退けられたが〔『F1レース10年の軌跡』(グランプリ出版、1991年)p.105。〕、第3戦アメリカ西GP後に両者失格の裁定が下され、水タンクの使用も禁止された。FOCA側はこの裁定に反発、ブラバム・ウィリアムズ・ロータスやマクラーレンなど10チームがサンマリノGPのボイコットを決める。これに対し、マクラーレンのニキ・ラウダがレースに出走するよう各チームに働きかけたが、ボイコットの決定が翻ることはなかった〔『オートスポーツ』p.38。〕。 レースに参加したのは、FISA側のフェラーリ・ルノー・アルファロメオ3チームとトールマン、FOCA側でありながら出走したティレル(新しいスポンサーのCandyがイタリアの企業である関係上〔『オートスポーツ』p.36。〕〔『F1レース10年の軌跡』p.106。〕〔アロウズにもイタリアの企業であるラグノがスポンサーに付いていたがレースには出走していない。〕)、ATS、オゼッラの7チーム・14台である。 予選はルノーのルネ・アルヌーがシーズン2回目のポールポジションを獲得。アラン・プロストが2位に付け、ルノーがフロントローを独占した。地元フェラーリのジル・ヴィルヌーヴとディディエ・ピローニがそれぞれ3・4位と続いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1982年サンマリノグランプリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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