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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ オールスター : [おーるすたー] (n) all-star (cast), (n) all-star (cast)
1988年のオールスターゲームは、7月24日から7月26日まで開催されたプロ野球のオールスターゲーム(球宴)である。正式名称は1988 サンヨー オールスターゲーム(''1988 SANYO ALL STAR GAME'')。 == 試合概要 == 前年からMVPに賞金と商品を贈呈してきた三洋電機がこの年から特別協賛企業となり大会名がサンヨーオールスターゲームに名称変更された(まで)。 前年、2年連続の日本一を達成した西武ライオンズの森祇晶が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率い、セ・リーグを制した読売ジャイアンツの王貞治が全セ(オールセントラル・リーグ)を率いたのオールスターゲーム。左右両翼100mの広さ持つ屋根つき球場東京ドームが開場し「野球の質が変わった」と言わしめ、シーズン終了とともに老舗球団、阪急ブレーブスと南海ホークスが身売りし、プロ野球も新時代を迎えようとしていた。 7月23日に予定された第1戦が雨で24日に順延。第1戦は結果的にオールスターゲーム最終開催となる阪急西宮球場で行われ、地元阪急ブレーブスの星野伸之が全パの先発として責任投球回を無失点に抑え、主砲ブーマー・ウェルズが特大のホームランを放ち、老舗球団の派手な店じまいのような展開となった。第2戦はナゴヤ球場で実施され王に憧れて野球を志した高卒新人立浪和義が先発出場、当時は指名打者がオールスターゲームで導入されておらず門田博光が3番・右翼手で先発。低迷続く阪神タイガースの岡田彰布の逆転ホームランで全セがタイに持ち込んだ。そして最終、第3戦は開場4か月の東京ドームが初めて球宴の舞台となった。当時東京ドームを本拠地としていた日本ハムファイターズのエース西崎幸広が全パ先発投手として3回をパーフェクト(2回裏にはクリーンナップから三者連続三振、3回裏2死で代打立浪から5個目の三振)2年ぶりの延長戦となり引き分け寸前の12回裏、野手を使い切った全セは投手水野雄仁を代打に送ったところこれがサヨナラの犠牲フライとなり、全セが昭和最後のオールスターゲームを締めくくった。現在の規定では延長はなく、指名打者制になっているため、このような事態は起こり得ない。 第3戦が行われた東京ドームにおいて1988年度の野球殿堂授与式が行われ、全セを率いた巨人・王貞治の後任という噂のあった長嶋茂雄が登場した(その後、広岡達朗に白羽の矢が立ったが固辞され、藤田元司が再任)。ともあれ、王・長嶋のONコンビが球宴の舞台に同時登場したのは1979年(長嶋は監督、王は現役)以来のことであった。そしてON二人が両リーグの監督として球宴に並び立つのはこれから13年後のことである。 この年、ウォーレン・クロマティの代役として巨人で大活躍した呂明賜が監督推薦で初出場し全試合に先発したもののノーヒットに終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1988年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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