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1988年の韓国シリーズ == 概要 == の韓国シリーズは、前後期リーグともに1位で韓国シリーズに直行したヘテ・タイガースと前期リーグ2位でプレイオフ勝者のビングレ・イーグルスの間で2-2-3の7戦4勝制で行われ、ヘテ・タイガースが4勝2敗で韓国シリーズ3連覇に成功した。 この年は1軍リーグ参入3年目で韓国シリーズ進出を果たしたビングレ・イーグルスの健闘が光った。1軍リーグに参入して2年間、7位と6位で新規参入チームの限界を克服せずにいた。しかし、1987年シーズン後、OBベアーズと三星ライオンズで監督を歴任して両チームを韓国シリーズに導いた金永徳(キム・ヨンドク)を監督に迎え、チームカラーを刷新、それまでとは違うチームに変貌を遂げた。ビングレは前期リーグから飛び出し、前期リーグを首位ヘテに0.5ゲーム差の2位で終えて、少なくともプレイオフの進出を決めた。後期リーグでは3位に終わり、後期リーグ2位の三星ライオンズとプレイオフを行うようになった。 プレイオフの開幕前は、経験が豊富な三星ライオンズがポストシーズンの達者として、初登場のビングレより有利という予想だった。しかし、ポストシーズンはおろか、1軍経験すら3年しかならなかったビングレは予想を覆した圧倒的な戦いぶりで3連勝で三星を一蹴。経験はあったが、ほとんど失敗だった三星ライオンズのポストシーズンでの脆さが再び浮き刻みになった。1軍参入3年目のチームに敗退したのを受けて、三星は契約が1年残っていた監督の朴永吉(パク・ヨンギル)を解任。ここから、成績が出ないと契約期間にこだわらず、すぐ監督交代という三星の十数年に渡る迷走が始まることになる。 プレイオフでは下り坂であった三星を軽く一蹴したビングレだったが、最強と言われたヘテとの対決では、経験不足を露呈して、予想どおりへテの一方的なペースで展開された。ヘテは3連勝であっという間に王手を掛けた。しかし、そのまま2年連続ストレート勝ちかと思ったら、ここからビングレが粘りを見せ、第4、5戦で連勝。シリーズを第6戦まで持ち込んだ。結局第6戦でビングレは力尽き、ヘテの連覇を止めることは出来なかった。しかし、新規参入チームとして、浅い経験にも既に韓国シリーズを3度も制覇している強者相手に見せた健闘は十分称えられるべきものと評価された。 韓国プロ野球はこの年まで前後期制を採っていたが、前期リーグだけで悪くてもプレイオフ進出が確定されるチームが2チームにもなるにつれ、その両チームの後期リーグへのモチベーションが低下する傾向が著しくなり、後期リーグの緊張感が落ちるようになった。これを受けて韓国野球委員会は制度を改正して、翌年から通年1リーグ制を実施して、また準プレイオフ制度を導入、年間成績の4位までポストシーズンに進出して、優勝に挑戦するチャンスを与えることにした。この制度は、マイナーなチェンジはあったものの、以後、2リーグ制を試みた1999年、2000年シーズンを除いて、現在まで韓国プロ野球の運営方式として維持されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1988年の韓国シリーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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