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1990年の日本シリーズ : ミニ英和和英辞書
1990年の日本シリーズ[1990ねんのにっぽんしりーず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
日本シリーズ : [にほんしりーず]
 (n) Japan Series
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

1990年の日本シリーズ : ウィキペディア日本語版
1990年の日本シリーズ[1990ねんのにっぽんしりーず]

1990年の日本シリーズ(1990ねんのにっぽんシリーズ、1990ねんのにほんシリーズ)は、1990年10月20日から10月24日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツ(巨人)とパ・リーグ優勝チームの西武ライオンズ(西武)による第41回プロ野球日本選手権シリーズである。
== 概要 ==
巨人と西武の対決は3年ぶりとなり、巨人と西武(所沢時代)としては、に続く3回目として見られるが〔例:週刊ベースボール通算1854号、pp.27-32、1990年11月12日〕、西武が4戦4勝で勝利し、2年ぶり9度目の日本一となり(西鉄時代を含む。西武では6度目)。西武の4連勝は引き分けを挟まないものとしてはの南海ホークス(相手: 巨人)、1960年の大洋ホエールズ(相手: 大毎オリオンズ)以来30年ぶり3チーム目、引き分けを挟むものも入れるとの西鉄(相手:巨人、1分け挟む)と、の阪急ブレーブス(相手:広島東洋カープ、2分け挟む)以来4チーム・5回目。巨人のシリーズ4連敗は3度目(1957年は1分挟む)、3たび巨人を破った。なお、第1戦と第2戦がビジター球場、第3戦と第4戦がホーム球場で行われたケースにおいて、4戦4勝で日本シリーズを制したチームは2016年現在、この年の西武が唯一である。(それ以外の4戦4勝のケースは全て、第1戦と第2戦が日本一チームのホーム球場、第3戦と第4戦が日本一チームのビジター球場であった。)
西武の4勝はすべて得点差4点以上であった。『プロ野球70年史』は、西武は「完璧な野球をみせた」「ただ、投げて打つだけの巨人とはレベルが違いすぎた」とする一方で「(誰一人として)こんな結果になろうとは思わなかっただろう」と評している〔588頁-589頁〕。
巨人の藤田元司監督は、「(相撲に例えれば)立ち上がったら、そのまま突き飛ばされて土俵の外に出ていた」「ただあれよあれよという間に負けてしまった」とし、3連敗後4連勝で制した1989年の日本シリーズの記憶は薄れつつあるが本シリーズの印象は強烈、などと巨人監督退任直後の自著で振り返っている〔『藤田前監督 巨人軍を語る』、163頁 - 168頁〕。
両チームともそれぞれのリーグを圧倒的な強さで制覇していたが、事前予想で「巨人有利」の見方が多かった〔例:週刊ベースボール通算1854号、pp.16-20、1990年11月12日〕。斎藤雅樹桑田真澄などセ・リーグの防御率上位4人、シーズン70完投を記録していた巨人であったが、9月8日の対ヤクルトスワローズ戦でリーグ優勝を決めてから間隔が空いており、巨人系列の読売新聞は、やはり西武対巨人の2002年の日本シリーズ終了を報じる記事で、これら投手陣が「豊富なデータを消化不良のまま」「主軸を警戒しすぎて次々にKOされた」と振り返っている〔2002年10月31日読売新聞18頁〕。
巨人では、このとき選手会長であった岡崎郁が「私の野球観が変わった」との言葉を残した〔。さらに、原辰徳は、監督として臨んだ2002年の日本シリーズに際して、西武への印象を「苦手を通り越して、コンプレックス。トラウマ的なものさえ感じる」と述べた。後に刊行された川相昌弘の著書『明日への送りバント』に至っては「思い出すのもおぞましい」とある。
上記岡崎のコメントについて、西武の森祇晶監督は、「相手のチャンスをことごとくディフェンスで摘み取っていった守りの堅い西武野球を指しているのではないかと思う」という認識を示している〔森『覇道』p.p.181-189〕。また、シリーズ終了直後の球界でも、「ショックから、巨人選手はどういう立ち直りを見せるのか」という見方も出されていた〔週刊ベースボール通算1854号、pp.28-29、1990年11月12日〕。なお、この前後の巨人のチーム状況は読売ジャイアンツ#第2次藤田監督時代を参照。
藤田、森の両監督は、ともに1959年の日本シリーズ(巨人VS南海、南海が4連勝で日本一)に、巨人の選手として出場しており、藤田は、選手と監督両方で日本シリーズ4連敗を味わうこととなった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1990年の日本シリーズ」の詳細全文を読む




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