|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 年 : [ねん, とし] 1. (n-adv,n) year 2. age ・ F : [えふ] ファロー四徴(症) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 世界 : [せかい] 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe ・ 世界選手権 : [せかいせんしゅけん] (n) world (an international) championship (title) ・ 選 : [せん] 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing ・ 選手 : [せんしゅ] 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team ・ 選手権 : [せんしゅけん] 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion ・ 手 : [て] 【名詞】 1. hand ・ 権 : [けん, ごん] 1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something)
1992年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第43回大会である。1992年3月1日に南アフリカで開幕し、11月8日にオーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。 == シーズン概要 == 1992年のF1チャンピオンシップでは、ナイジェル・マンセルがウィリアムズ・ルノーでシーズン16戦中9勝という圧倒的な強さを見せ、シーズン中盤の第11戦ハンガリーグランプリで早々とタイトルを決めた。これまで何度もタイトルに絡みながらチャンスを逃し、無冠の帝王と呼ばれていたマンセルの悲願のタイトル獲得となった。マンセルはこの年を最後にF1から引退(のちにスポット参戦で復帰)し、1993年にアメリカのインディカー(CART)に転向した。 マクラーレン・ホンダの黄金時代からウィリアムズ・ルノーの時代へと移り、ウィリアムズ・ルノーはこの年、16戦中10勝、1-2フィニッシュも6回、コンストラクターズ・ポイントは165ポイントと、2位マクラーレン・ホンダに対して65ポイントの大差をつけた。 マクラーレン・ホンダは、かつての黄金時代がウソのような不振におちいり苦戦、ベネトン・フォードと2位争いをする状態になった。こんな中、第10戦ドイツグランプリの直前にホンダが今期限りで F1 から撤退することを発表した。シーズン16戦中5勝とまずまずの成績ではあったが、シーズン序盤から独走するウィリアムズ・ルノーに迫ることができなかった。 コンストラクターズ・ポイント、ドライバーズ・ポイントともウィリアムズ、マクラーレン、ベネトンおよびそのドライバーで上位を占めた。コンストラクターズポイント4位のフェラーリはこの年も低調で、序盤からリタイアが相次ぎ、優勝・2位なし、3位がわずかに2回とふるわず、コンストラクターズ・ポイント3位のベネトン・フォードに大きく引き離された。 ドライバーズポイントでは、1991年途中からデビューしたミハエル・シューマッハがフルシーズン参戦最初の年となったこの年に53ポイントで3位に入り、マクラーレンのセナやベルガーを上回ったことが注目された。 ブラバムから参戦し、後にウィリアムズで優勝戦線に加わるデイモン・ヒルと、クリスチャン・フィッティパルディ、片山右京と国際、全日本F3000チャンピオンといったドライバーがデビュー。マンセルの他にステファノ・モデナ、マウリシオ・グージェルミン(共にジョーダン)、ヤン・ラマース(マーチ)といったベテランドライバーが去り、コンストラクターではブラバム、マーチ、フォンドメタル、アンドレア・モーダ、スクーデリア・イタリアに供給していたダラーラ(翌年からローラに変更)が撤退した。また、ベンチュリー名義で参戦したラルースも93年シーズンから本来の名称で参戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1992年のF1世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|