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1999年の日本シリーズ(1999ねんのにっぽんシリーズ、1999ねんのにほんシリーズ)は、1999年10月23日から10月28日まで行われたセ・リーグ優勝チームの中日ドラゴンズと、パ・リーグ優勝チームの福岡ダイエーホークスによる第50回プロ野球日本選手権シリーズである。 == 概要 == 王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスと星野仙一監督〔星野監督は阪神監督時代の2003年の日本シリーズでもダイエー(監督はこの年と同じく王)と対戦したが、同年も3勝4敗で敗れている。〕率いる中日ドラゴンズの対決となった1999年の日本シリーズは、ダイエーが4勝1敗で前身の南海ホークス時代を含めると35年ぶり3度目で、福岡県への本拠地移転後では初の日本一〔熊田明裕「ダイエー、悲願の日本一 4勝1敗 中日降す」『毎日新聞』1999年(平成11年)10月29日付東京本社朝刊1面。〕。 ダイエーは、主将の秋山幸二は第1戦と第2戦で本塁打、第3戦で久慈照嘉の右翼ポール付近へのファウル飛球を三角跳びで好捕するなどチームを牽引し、日本シリーズMVPに選出された。秋山は西武時代のにも同賞に選出されており、複数球団での受賞は史上初。 一方、中日は主砲の山崎武司をシーズン終盤の負傷で欠いており〔9月30日、11年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた対ヤクルト26回戦(明治神宮野球場)で一塁守備中、打者走者の真中満と交錯して左手首を骨折、日本シリーズに出場することができなかった。これについて工藤公康(山崎は愛知工業大学名電高等学校の後輩にあたる)は「タケシが出ていたら、ホークス投手陣はもっと苦労したと思う。あいつが打線にいなかった分だけ楽をさせてもらった。」と語った。〕。さらに、中継ぎの一人だったサムソン・リーが翌年のメジャー挑戦を公に表明してしまい選手登録から外されるなどしていた。なお、第2戦で好投した川上憲伸が敢闘賞に選ばれている。 なお、この年は史上初めて全試合ドーム球場(福岡ドームとナゴヤドーム)で開催されたシリーズでもあった〔「全試合ドームは初 日本シリーズ」『毎日新聞』1999年(平成11年)10月1日付東京本社朝刊21面。〕。また、王監督は監督として初の日本一を経験し、ナゴヤドームで開場以来、レギュラーシーズンおよびポストシーズンを通じて初の胴上げを経験した監督となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1999年の日本シリーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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