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2000年J2最終節(2000ねん J2さいしゅうせつ)とは、2000年11月19日に行われた日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)ディビジョン2第44節のことを指す。 本項目では特に、Jリーグ ディビジョン1 (J1) 昇格の最後の椅子を争った浦和レッドダイヤモンズ(浦和)と大分トリニータ(大分)のそれぞれの試合について記す。 なお、正式には「J2からJ1への昇格」はリーグ終了後のJリーグ理事会での協議で決定するが、2011年までに成績条件を満たしたクラブが理事会でJ1昇格が否決されたケースがないため、便宜上「J2で2位以内(成績条件)=J1昇格」として扱うものとする。 == 最終戦までの経緯 == 二部制導入2シーズン目となった2000年のJリーグ ディビジョン2 (J2) は、前シーズンのJ1年間最下位に沈んだ湘南ベルマーレ(湘南、「ベルマーレ平塚」から改称)と、前年のJ1最終節で無念の降格となってしまった浦和の降格2チームに、前年の日本フットボールリーグ (JFL) で3位に入り昇格した水戸ホーリーホック(水戸)〔この当時、JFLからJ2への昇格は「JFL2位以内」が条件だったが、前年優勝の横浜FCが特例措置により参加した「JFL準会員」だったため、「正会員で2位」の水戸のJリーグ入会(J2昇格)が認められた。詳細は第1回日本フットボールリーグの項目参照。〕 を加えた11クラブによる4回戦総当たり(各チーム40試合、全44節)により行われた。 J1昇格争いは、降格にもかかわらず主力がほとんど残留し「1年でのJ1復帰」を至上命令に掲げた浦和、前シーズン勝ち点差1により昇格を逃した大分、そしてワールドカップフランス大会の日本代表監督であった岡田武史体制2年目となったコンサドーレ札幌(札幌)の3チームによる争いとなった。 シーズン開幕当初は浦和が連勝を続けるが、リーグ戦だけで40試合という長丁場に加え、J1に比較して整わない競技環境や守備重視のJ2特有の戦術に苦しみ、さらにこの年の夏に行われたシドニーオリンピックの関係などから、徐々にそのペースを落としていった。その一方で、札幌は有珠山の火山活動が活発化した関係から室蘭市入江運動公園陸上競技場でのホームゲームが延期・会場変更になるなど日程変更を余儀なくされるも、この年J2得点王に輝いたFWエメルソンの決定力が光り、第2クールを全勝で折り返すと、7月29日に札幌厚別公園競技場で行われた浦和戦を2-1で勝利し、17試合無敗(16勝1分)を達成するなど、中盤以降は他チームを引き離して独走状態となった〔J2 札幌優勝、浦和とともにJ1昇格 - JリーグニュースNo.67(2000年11月30日)、Jリーグ公式サイト内。〕。 そして大分はこのシーズン、なかなか成績が上がらない状況にあった。FWヴァルディネイの退団により獲得したFWルシアノが戦術にあわず、FWアンドラジーニャをガンバ大阪(J1)から移籍させるといった按配であった。しかしその甲斐もあり、少しずつ成績は上向いていった。 札幌が昇格への勝ち点を6とした10月3日、浦和はゼネラルマネージャーの横山謙三が総監督として現場復帰、斉藤和夫監督に代わってチームの実質的な指揮を執ることを発表(斉藤監督自身は監督の肩書きのままクラブに残留)し、1年でのJ1復帰をなんとしても果たすべく動き出した。 10月21日、札幌は湘南戦(平塚競技場)で3-0と勝利し2シーズン振りのJ1昇格を決定。29日の大宮アルディージャ(大宮)戦(札幌厚別公園競技場)を2-0と勝利し、4試合を残してJ2優勝を決めた。 これによりJ1昇格の座は残りひとつとなったが、その行方は最終節まで持ち越しとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2000年J2最終節」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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