|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 年 : [ねん, とし] 1. (n-adv,n) year 2. age ・ 韓国 : [かんこく] 【名詞】 1. (South) Korea ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
2007年の韓国シリーズ == 概要 == の韓国シリーズは、公式戦1位のSKワイバーンズとプレーオフ勝者の2位斗山ベアーズ間で10月22日から7回戦制で行われ、SKワイバーンズが4勝2敗で韓国シリーズ優勝となった。 シリーズが開幕する前の下馬評では、同年の公式戦で22勝5敗、防御率2.05で話題になった絶対的なエース、ダニエル・リオスを擁する斗山ベアーズの方が優位に見えた。リオスの22勝はすべて先発で挙げたものでシーズンで先発22勝は韓国プロ野球初年度である1982年同球団のOBである朴哲淳(パク・チョルスン)以来の記録であった。それに、赴任したチームをポスト・シーズンまでは導くものの、それまで韓国シリーズ優勝は1度もなかったSKの金星根(キム・ソングン)監督のジンクスと、対戦成績でも斗山が10勝8敗と勝ち越した事実が加えられ、公式戦2位でありながら、斗山の優勝を予想する専門家も少なくはなかった。 リオスとケニー・レイボーンの対決で幕を開けたシリーズは、レイボーンが6回2失点と比較的に好投しながらも、相手のリオスがSKの打線を完封し、斗山の先勝で始まった。続く第2戦でも斗山の打線がSK先発の蔡秉龍(チェ・ビョンヨン)を攻略して先発のランデルを援護。敵地で行われた2戦をものにして、斗山がそのまま一気に優勝まで貫くかと思われた。 それまで24回行われた韓国シリーズで第1戦から0勝2敗のチームが逆転優勝をした前歴がなかったこと〔ただし、1993年はヘテ・タイガースが1勝2敗1分けから、2003年は現代ユニコーンズが1勝2敗から逆転優勝している。〕〔メジャーリーグでは、1986年のニューヨーク・メッツや1996年のニューヨーク・ヤンキースなどが0勝2敗から逆転優勝を果たしている。また日本でも、1980年の広島東洋カープや2000年の読売ジャイアンツなどで実例があるほか、1986年の西武ライオンズなど0勝3敗からの逆転優勝もあった。韓国プロ野球では3連敗の後4連勝の記録はなく、2000年斗山ベアーズが現代ユニコーンズ相手に3連敗の後3連勝でシリーズを第7戦まで持ち込んだが、最終戦で敗れたことがある(日本でも1976年の日本シリーズで同様の事例がある)。〕、そして第3戦から斗山の本拠地で行われることから、斗山の優勝はほぼ確実に見えた。が、第3戦でSK投手陣の内角をえぐる投球に敏感になった斗山の選手たちが興奮。両チームの選手がベンチを出て乱闘寸前まで行く騒ぎを起こすと、これが逆にSKの選手たちの奮い立たせるきっかけを与えてしまった。 結局、第3戦はSKが9対1の楽勝でシリーズを1勝2敗に持ち込むと、第4戦では22勝のエース、リオスを中3日で出した斗山に対してSKの金星根監督は公式戦3勝7敗の高卒ルーキー、金廣鉉(キム・グァンヒョン)を予告先発に指名する度肝を抜く大胆な采配を見せた。誰もがリオスを避けて自軍の投手陣を温存するため作った捨てゲームであり、かと言って負ければ王手をかけられる試合に高卒ルーキーを先発させたことに疑問を示したが、金廣鉉は見事7回2/3を被安打1、無失点で投げぬけると、打線の方は中3日の登板で疲れ気味だった相手先発リオスを2本のホームランで撃沈させ、4対0で快勝。誰も予想できなかった大番狂わせを演出して、シリーズを2勝2敗のタイに持ち込んだ。 この1戦でSKは勢いに乗った一方、中3日だったとは言え、絶対的な信頼を寄せていた22勝のエースが3勝の高卒ルーキーとの対決で敗れた衝撃で斗山の方は動揺の色を隠せず、続く第5戦でも攻撃陣が5つの併殺を喫する拙攻で、6回まで無失点に抑えた先発のランデルの力投に応えられなかった。結局リリーフ陣が打ち込まれ、第5戦も0対4で斗山の完敗。ホームでの3試合すべてで白星をSKに献上し、第2戦までの展開とは反対に斗山が先に王手をかけられた。 1日開いて、舞台を再びSKの本拠地・文鶴球場に移して行われた第6戦でもSKの勢いは変わらず、斗山側は最後の砦として高卒ルーキーでありながら中継ぎの軸として1年間働いた林泰勲(イム・テフン)を先発させた。斗山は1回に1点を先制したが、林泰勲は4回を持たずに2本塁打を浴び3失点と逆転を許し降板。結局、第6戦も5対2でSKの勝利に終わり、SKは韓国シリーズ史上初めて0勝2敗から逆転優勝に成功した球団になった。 SKの金星根監督は監督生活16年、指揮を執った6番目のチームでようやく悲願の優勝を達成して、それまでついていた「Bクラスチームの建て直しは上手だが、優勝はできないそこまでの監督」という世間の評価をついに振り払うことに成功した。 一方、斗山は敵地での連勝で2勝0敗でありながら、第3戦以降は4試合で3点しか挙げられなかった拙攻で、力投する投手陣の足を引っ張り、6年ぶりに王者に帰り咲くチャンスを逃した。 2000年開幕前の現代ユニコーンズの移転問題で傷つけられた仁川の野球ファンの心も癒され、SKワイバーンスが仁川市民に愛される球団になったと見てもいいだろう。SKの首位独走が続いた翌年のシーズン、仁川を本拠地としていたチームとしては史上最高の70万超の観客を動員で、仁川の野球ファンはチームの健闘ぶりに答え、球団は本拠地に完全に根付くことに成功した。 また、このシリーズの終了時点で、当時存在していた韓国プロ野球8球団すべてが優勝を経験することになった。しかし、2008年シーズンから現代ユニコーンズの解散と新球団のヒーローズの参入で、再び優勝を経験していない球団が出てきた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2007年の韓国シリーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|