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2011年のル・マン24時間レース : ミニ英和和英辞書
2011年のル・マン24時間レース[2011ねんのるまん24じかんれーす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
時間 : [じかん]
  1. (n-adv,n) time 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

2011年のル・マン24時間レース : ウィキペディア日本語版
2011年のル・マン24時間レース[2011ねんのるまん24じかんれーす]

2011年のル・マン24時間レース()は、フランス西部自動車クラブ (ACO) が統括する79回目のル・マン24時間レースであり、2011年6月11日から6月12日にかけてフランスサルト・サーキットで行われた。1992年に終了したスポーツカー世界選手権以来開催されることのなかった耐久レースの世界選手権の復活と見なされる2011年のインターコンチネンタル・ル・マン・カップの第3ラウンドでもある。本レースには、249,500人の観客が観戦した。
アウディ・スポーツチーム ヨーストのアウディ2号車に乗るブノワ・トレルイエが、アウディが2006年以来長らく獲得できなかった2度目のポールポジションをチームにもたらし、アウディ1号車とともに最前列(フロント・ロー)を独占した。レース序盤での事故により3台エントリーしていたアウディ車の内2台はレースの舞台から退場することになったが、残った唯一のアウディ・R18 TDIに乗るトレルイエ、マルセル・フェスラーアンドレ・ロッテラーら3人が、3台のプジョー・908の追撃をかわし、13.8秒のリードで優勝を果たした。LMP2クラスでは、グリーブス・モータースポーツのザイテック-日産が優勝し、 GTE Proクラスでは、コルベット・レーシング が優勝を果たし、GTE Amクラスでは、ラルブル・コンペティションチームが(参戦するレース・カー2台のメーカーはそれぞれ異なるが、)コルベットの50号車とポルシェの70号車による1-2フィニッシュによってタイトルを獲得している。
なお、同年3月11日日本宮城県沖で発生した東日本大震災で、日本国内は深刻な被害を受けた。当然ながら日本のモータースポーツ界も、電力不足やガソリン不足などの社会的混乱等で、レースの開催中止や延期などが相次ぎ、大変大きな影響を受けることとなった。(東日本大震災によるモータースポーツ界への影響の詳細は、東日本大震災によるスポーツへの影響#モータースポーツを参照のこと。)日本人ドライバーの参戦は中野信治ただ一人のみであり、日本メーカーはエンジンのみの提供で、シャシーを含めた自社製のプロトタイプレーシングカーを投入しての本格的なワークスチームによる参戦がなかっただけでなく欧米メーカーのGTカーを使用して参戦する日本チームさえ皆無であった。その中でACOは、本年のル・マン24時間に参戦する全ドライバーのサインを寄せ書きしたフランスの国旗を贈るなどの日本に対する支援を行ない、また一方で日本国内でも、マツダが被災した中高生をル・マンに招待するなど、ル・マン24時間レースと日本との関わり合いが絶えないように交流が続ける努力がなされた。


== レギュレーションの変更点 ==
2011年は、プロトタイプレーシングカー(LMP)カテゴリーとGTカー(GT)カテゴリーの両方で重要なレギュレーション変更がなされており、2007年以来となる大きなレギュレーションの改訂が行なわれたとして記録されるべき程のものとなった。
ACOが策定した新しいレギュレーションによれば、これまでのLMPカー(2007年-2010年)を旧式なものとし、新しいプロトタイプレーシングカー像を作り出すものであった。新しいLMP1カーのエンジンは2010年シーズンのLMP2カーにほぼ似通ったものとなり、大幅に排気量(2010年のLMP1カーのアウディ・R15 TDIプジョー・908 HDi FAPは共に5.5L)を抑制し、自然吸気(NA)エンジンの場合は最大排気量を3.4L(3,400cc)までとし、ターボの場合は2.0L(2,000cc)までとし、ディーゼル・ターボの場合は3.7L(3,700cc)とした。2011年のレースでも、一部の2010年規定の車がACOの認可を得て出走できるが、その場合はエア・リストリクターを小さなものにし、(ターボやディーゼル・ターボの)過給率を下げ、燃料タンクを小さくしたものにしなければならない。
LMP2カーのエンジンはそれまでのGT2クラスにほぼ似通ったものとなり、NAエンジンの場合は最大気筒数が8気筒で最大排気量を5.0L(5,000cc)までとし、ターボの場合は最大6気筒で3.2L(3,200cc)までとし、いずれも市販車のエンジンをベースとしなければならない。なお、ディーゼルエンジンの使用は一切許可されていない。市販車のエンジンと認められる条件は、連続した12ヶ月間に1,000基以上生産されていることである。LMP2カーは更に低コストに抑えることにも焦点が当てられていて、製作費の上限として40万ユーロ(内訳はシャシーに32万5千ユーロ、エンジンに7万5千ユーロ)が定められた。ローラが最初のマニュファクチャラーとなり、(運転席が)オープンタイプのB11/40とクローズドタイプのB11/80の2つの異なるLMP2カーが発表され、BMWフォードホンダHPD)・ジャガー日産トヨタといった自動車メーカーのエンジンをB11/40に合わせることができるとしている。
(手動のプッシュボタン式は禁止され、あくまで操作は足によるアクセルペダルのみに限るとする)KERSを含むハイブリッド・ビークル・ドライブトレイン・システムも新しいレギュレーションで広範囲にわたって認められた。フライホイール方式も認められている。ハイブリッド・システムはパワーの増強のためではなく、あくまで燃料消費量の削減を目的としていなければならないとしている。前輪または後輪どちらかからの回生は認められているが、4WDは認められておらず、駆動方式は前輪または後輪どちらかのみであった。LMP1カーもLMP2カーも重量は900kgと規定された。MP1カーのボディフレームは、エンジンカバーの頂点に、揚力を下げるためのシャークフィン(ヴァーティカルフィン))を付けることを義務付けられた。これは1999年のル・マンでのメルセデス・ベンツ・CLRの3件にも及ぶ事故、特に最も有名なピーター・ダンブレックの事例のような「フリッピング」と呼ばれる浮き上がって宙を舞うクラッシュや2008年のル・マン・シリーズのモンツァ1000キロレースでのクラージュ-オレカ・LC70に乗っていたステファン・オルテッリのクラッシュを防止するためである。
クローズドボディのレース・カーについては換気/エアコン装備が義務付けられた〔。
以前のGT2クラスは、2011年シーズンでは単なる市販車ベースのカテゴリーとなり、「GT・エンデュランス(耐久)」カテゴリーと改称されて、「GTE・アマチュア(GTE Am)」と「GTE・プロフェッショナル(GTE Pro)」の2つのクラスに分割されて、それぞれに選手権がかけられる形に再編された。2011年のレギュレーションでは、GTE Amクラスに2010年のGT1規定の車も参戦できることになっていたが、1台もGT1規定での車のエントリーはなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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