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2013年タイ反政府デモ(2013ねんタイはんせいふデモ)は、2013年11月25日から、タイの反タクシン派野党民主党のステープ・トゥアクスパン元副首相が反タクシン派政権の樹立を狙って主導している大規模なデモ(一揆)であり、インラック・シナワトラ首相の辞任を要求している。政府を支持するタクシン派と反政府派の衝突により、今までに少なくとも30人が死亡した〔タイデモ激化3人死亡 反政府派と支持派衝突 東京新聞 2013年12月2日閲覧〕〔バンコクの反政府デモ 4人死亡、数十人負傷 〕〔発砲で1人死亡 〕〔ロイター 2014年 05月 20日閲覧〕。 == 推移 == === デモの発生 === 2013年10月28日、2010年の暗黒の土曜日事件で、当時のアピシット首相と治安担当のステープ副首相が国軍に発砲を許可し、ロイター通信の村本博之カメラマンをはじめ90人以上の市民を虐殺、約2000人を負傷させたとして、検察は2人を殺人罪などで起訴した。 起訴当時、インラック政権与党のタイ貢献党は、2006年の軍事クーデター以降にデモや政治的事件で訴追されたタクシン元首相派・反タクシン元首相派双方の人に恩赦を与える恩赦法を上程していたが、国外亡命中のタクシン元首相の帰国に道が開くとして、反タクシン元首相派の民主党がこれに反発し、民主党支持者がデモを行っていたが、逮捕されることを恐れたステープ元副首相は、このデモに便乗して、タクシン元首相派のインラック政権の打倒を主張するようになった。 11月25日、タクシン元首相派のインラック首相を退陣させ、選挙によらずに政権移譲をするために、ステープ元副首相が率いる民主党の議員らが議会制民主主義を放棄し、インラック首相との紛争の場を街頭に移す作戦「民衆のクーデター」を開始した。これにより、民主党人民民主改革委員会(略称PDRC)はバンコクにおいて大規模なデモを行い、政権打倒を掲げる武装デモ隊が活動を過激化し、25日に財務省や外務省などの政府庁舎を占拠し、26日には運輸省や観光・スポーツ省なども包囲し一時占拠した。参加者の一部は暴徒化し、住民や外国メディアに対しても敵対姿勢を強めており、警察本部前で行われたデモでは、ドイツ人カメラマンが襲撃された。 29日、民主党はインラック首相の退陣とタクシン元首相の政治的な人脈の解体を求める反政府デモを全面的に支持すると表明し、党首のアピシット前首相自ら率いる武装デモ隊がバンコクのアメリカ大使館を包囲した。デモ隊は1000人以上で、大使館の担当者に今回のデモの趣旨を説明する手紙を手渡した。 インラック首相は連帯と和解、法の順守を呼びかけ、「政府は警察や治安当局に対し、国際的な慣行に基づく穏当な対応を指示した」とする声明を発表した。しかし、デモ参加者らは、選挙を拒み現行の民主政府を直ちに停止して、反タクシン派主導の暫定政府「人民評議会」の設置や、民選の国民議会(下院)を廃止し、選挙によらない利益団体の代表からなる「人民議会」の設置を求めており、要求が過激化している。 一方、バンコク郊外の多目的競技場では、タクシン元首相派政治団体の反独裁民主統一戦線(UDD)がインラック政権を支持するための大規模な集会を開催しており、警察当局発表で約2万5千人が参加した。タクシン元首相派の人々が集会を開いていた競技場周辺では、11月30日夜から12月1日未明にかけ、反タクシン派武装デモ隊がUDDの集会を襲撃する事件が起きた。警察当局によると、反タクシン派武装デモ隊による銃撃で、集会参加者3人が殺害され、50人以上が負傷した。こうした事態を受け、UDDは集会を中止し支持者に帰宅するよう求め、タクシン元首相派のデモは衝突を避けるために撤収した。 武装デモ隊は12月1日を政府退陣への「勝利の日」と定め、首相府や全省庁、国会議事堂を制圧下に置くと宣言し占拠を試みたが、首相府をはじめとする全省庁の占拠は失敗した。インラック首相は、反政府デモが過激化していることを受け、これを平和的に解決するために、改めてデモ隊との話し合いに応じる姿勢を示し、武装デモ隊を率いるステープ元副首相は、軍司令官らの出席の下でインラック首相との会談に応じた。ステープ元副首相は、「治安部隊が武器を置けば、われわれはこれを歓迎する」としたものの、「何の合意もなかった。これが最後の会談で、民衆が勝利するまで再会はないと明確に伝えた」と述べ、今後もデモを継続する意向を示した。これに対しインラック首相は、「デモ隊や学識経験者を招き議論で解決したい」と演説し、話し合いの継続を訴えた。 12月3日、プミポン国王誕生日が5日に迫る中、政府とデモ隊の間で、国王誕生日を祝うために、今後数日間は衝突を回避することを合意した。これを受けて警察当局は、首相府と治安当局本部へ向かうデモ隊に対して今後は実力行使しないと発表した。機動隊は突入を図る武装デモ隊に対し封鎖を解除し、デモ隊がバンコクの首相府と首都圏警察本部の敷地に入ることを認めた。武装デモ隊は1時間ほど敷地内に入り、「勝利宣言」を行った後に立ち退いた。 12月5日、プミポン国王は国王誕生日を祝う式典の演説で、過激化するデモ活動を懸念し、国民が手を取り合って長年の平和を保つよう呼びかけた。しかし、国王の呼びかけにもかかわらず、8日、民主党党首のアピシット前首相は、「現在の我が国の危機を招いたのはインラック政権の方だ」と批判し、民主党所属153人の全下院議員が議員辞職することを表明した〔タイ:反タクシン元首相派「最終決戦」デモ開始 毎日新聞 2013年12月9日閲覧〕〔タイ解散・総選挙、首相表明 民主党下院全議員が辞職、デモ合流 Sankei Biz 2013年12月10日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2013年タイ反政府デモ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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