|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 対 : [つい] 【名詞】 1. pair 2. couple 3. set ・ 対空 : [たいくう] (n) antiaircraft ・ 空 : [そら] 【名詞】 1. sky 2. the heavens ・ 機 : [き, はた] (n) loom ・ 機銃 : [きじゅう] (n) machine gun ・ 銃 : [じゅう, つつ] 【名詞】 1. gun (barrel)
28mm対空機銃(1.1"/75 caliber gun)は、第二次世界大戦においてアメリカ海軍が使用した対空兵器である。名前の通り、1.1in(28mm)の銃弾を使用し、その75倍の銃身長(2.1m)を有する。この口径法に関しては口径の項目を参照のこと。 ==概要== 従来用いられていた12.7mm機銃は、将来的には対空火器として力不足を来すものと考えた米海軍局は、新しい対空機銃の開発を開始した。 :''"対空火器の必要性が高まると認められ、1920年代の間中、海軍局ではほぼ連続的に対艦対空両用の火器開発が行われていたが、1930年代初頭には開発は終了した。その中でも5インチ38口径両用砲は、戦争全体を通じて、非常に批判が少なかった。その一方で、対空砲が効果を発揮できる領域、すなわち遠距離の他は、不十分な数字しか示せなかった。これは、近距離戦の状況では決して満足できない性能であったことを示している。12.7mm機銃は航空機搭載の対空機銃としては十分な能力を有していたし、28mm機銃については1930年代には海軍局の手によって四連装型まで発展していたが、どちらも第二次世界大戦の航空機に対して脅威と言える艦載対空火器ではなかった。28mm機銃は土壇場で使うことを期待されているにも関わらず、5インチ砲と12.7mm機銃の中間に位置する火器としてはあまりにも重かった上に、初期不良を改善しなければならなかった。充分な能力を有する近接対空火器の不足に加えて、現在保有しているものも不十分な数量でしかなく、1940年の期間中はほとんど優れた対空火器を入手できない状態だった。"''〔Rowland and Boyd, ''U. S. NAVY BUREAU OF ORDNANCE IN WORLD WAR II'', USN Bureau of Ordnance, p220.〕 第二次世界大戦の早い時期においては、アメリカ海軍のたいていの駆逐艦や、巡洋艦などに装備されていた。日本による真珠湾奇襲攻撃以降、フィリピンのマニラ湾にあったカビテ海軍基地には、アジア艦隊に所属する重巡洋艦「ヒューストン」に搭載すべく、5基の28mm四連装機銃が送られていた。「ヒューストン」には4基が搭載され、1基は予備とされた。カビテ軍港が奇襲攻撃を受けた際、ドックに残っていた1基は日本軍の爆撃を生き延びた。この予備の28mm機銃は、マニラ湾に駐留する哨戒艇に搭載するには重すぎたので、25,000発の28mm機銃弾と共にはしけに乗せられ、コレヒドール島のアメリカ陸軍に寄贈された。このヒューストンに搭載されなかった予備の機銃についての記録は、コレヒドール島に送られた後どうなったかは分からない。〔"Waiting for the Main Attack", ''Fighting For MacArthur'', John Gordon, Naval Institute Press, ISBN 978-1-61251-057-6, p. 67〕 いくつかのオンライン記事を参照すると、陸軍に寄贈されたこの機銃は、一つの説によれば、特製のコンクリート台座に据え付けられ、日本軍の航空機を撃墜するのに威力を発揮できたらしい。〔"The Moore Report" Annex F 24 ttp://corregidor.org/chs_moorerpt/annexf.htm〕 初期不良を改善できなかったことによって、この機銃について、水兵達からの評判は非常に悪いものだった。この機銃は、可能な時に速やかにボフォース 40mm機関砲と交換されたが、いくつかの艦船では終戦まで使われ続けた。 また、この機銃は時々“シカゴピアノ”というあだ名で呼ばれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「28mm対空機銃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|