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四式自動小銃(よんしきじどうしょうじゅう)は1944年(昭和19年 皇紀2604年)に日本軍で開発された半自動小銃である。海軍型と陸軍型があった。 == 日本自動小銃開発前史 == 第一次世界大戦後、世界各国の陸軍ではボルトアクション式小銃にかわって、自動小銃・半自動小銃の開発が行われていた。日本でもこうした流れを受けて1920年代より自動小銃開発の予備研究として自動短銃(短機関銃)の研究が先行して進められた。 日本の本格的な自動小銃開発は昭和極初期の、アメリカ、レミントン社のピダーセン自動小銃(1925年開発)の参考輸入より始まる。1930年(昭和5年)にはピダーセン式自動小銃の試作が行われた(後の試製自動小銃・甲とは別物)。 1932年(昭和7年)からは陸軍技術本部が、小倉工廠と東京瓦斯電気工業と日本特殊鋼と南部銃製造所(後に辞退)に競争試作させ、1934年(昭和9年)10月までに、小倉工廠製の「試製自動小銃・甲」、東京瓦斯電気工業製の「試製自動小銃・乙」、日本特殊鋼製の「試製自動小銃・丙」が完成している。試製自動小銃には長銃身型と短銃身型があった。後に、日本特殊鋼では重量5.6kgの「試製超軽機関銃」という自動小銃のような軽機関銃を試作している。 甲・乙・丙は全て三八式実包を使用する口径6.5mm仕様で、甲はピダーセン自動小銃、乙はZH-29半自動小銃を参考に試作されたものであった。甲は反動利用方式、乙はガス圧作動方式、丙はガス圧・反動併用方式であった。甲・乙については所謂デッドコピーではなく、制式採用の折にはライセンス生産を行う事を前提に、やチェコ・ズブロフスカ社と契約を行った上で制作が行われている〔日本の半自動銃 - 日本の武器兵器.jp〕。 作動不良や命中精度不良の解決のため、1937年(昭和12年)まで試験と改修が繰り返され、1935年(昭和10年)に命中精度と重量の問題で乙が脱落し、甲と丙が採用寸前までいったが、日中戦争が勃発し、三八式歩兵銃の増産と大量配備が優先されたため、結局採用中止となった。 ボルトアクション式小銃に比べ、半自動小銃の生産価格が高かったことと、価格に見合うだけの性能差ではないと判断されたことと、当時の日本における工業力の貧弱さから半自動小銃による弾薬消費の増加に補給能力が耐えられないという理由があった。 1931年(昭和6年)には萱場製作所により、三八式歩兵銃の式の半自動化改修案が特許申請された。 1933年(昭和8年)には小倉工廠で四四式騎銃に似た、口径6.5mm、10発装填の、ピダーセン式自動小銃が試作された。 1941年(昭和16年)には小倉工廠で九九式小銃を改造し半自動化したピダーセン式自動小銃が試作された。 しかし、第二次世界大戦が始まり、特にアメリカが本格的に反攻を開始したガダルカナルの戦い以降は、アメリカ軍は半自動小銃M1ガーランドやM1カービンなどを大量配備し、歩兵火力で日本に対して優位に立った。 また、海軍陸戦隊ではかねてより落下傘部隊用に自動小銃の導入を望んでいたこともあり、こうして新型自動小銃は、鹵獲したM1ガーランドを参考として、先ず日本海軍主導で開発が進められることになった。鹵獲したM1ガーランドは横須賀海軍工廠で徹底的に調査された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四式自動小銃」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Type 4 rifle 」があります。 スポンサード リンク
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