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雲龍型航空母艦(うんりゅうがたこうくうぼかん)は、日本海軍が太平洋戦争中に運用した中型航空母艦である。竣工が1944年(昭和19年)以降となったために、搭載機がなく、また出撃機会もなかった。 == 計画 == マル4計画で大型空母1隻(後の「大鳳」)を計画した日本海軍は〔#戦史叢書31海軍軍戦備1p.5777、建造状況〕、アメリカ海軍の第3次ヴィンソン案に対抗する形で1940年にマル5計画を発案〔#戦史叢書31海軍軍戦備1pp.597-598、計画の発想〕、1941年春の概案では30,000トン級の大鳳型空母(または排水量45,000トンの大型空母〔)3隻を計画していた〔#戦史叢書31海軍軍戦備1pp.599-600、計画の概案〕。しかし予算、資財、建造能力などの制約から大型空母は1隻(または1隻ないし2隻〔)に減らされ、代わりに10,000トン級の飛龍型空母2隻(または新設計の17,000トン中型空母)を建造する計画となり〔#戦史叢書31海軍軍戦備1p.601、計画概案に対する海軍省の検討〕、この中型空母は仮称艦名「第800号艦」とされた〔。ここで開戦が決定的となったため、1941年(昭和16年)8月にマル5計画を前倒しする形で昭和十六年度戦時艦船建造及航空兵力拡充計画(通称マル急計画)が策定され、中型空母1隻を建造することになった〔。この時、新型空母の設計はほどんど進んでいなかったため、マル急計画の中型空母は「飛龍」の設計を流用して建造を促進することになった〔。これが雲龍型航空母艦である。計画番号はG16 〔#海軍造船技術概要p.1599、「新造艦船主要要目一覧表 昭和18年9月1日 艦本総二課」〕。 雲龍型はマル急計画で1隻、また1942年1月時点ではマル5計画で1隻の建造が予定された〔。しかしミッドウェー海戦で4隻の空母を喪失したことによりマル5計画は改マル5計画に大きく改定され、雲龍型は「第5001号艦」から「第5015号艦」までの計15隻の整備計画があげられた〔。このうち「第5002号艦」と「第5005号艦」は戦艦「第110号艦」(後の「信濃」)の空母改造決定により、その後に中止となった〔。 この時に航空本部は飛龍型が10年前の設計であること、構造が複雑であること、決して大型艦ではなく新型艦上機の運用に十分対応出来ないことにより難色を示し〔丸 2012年10月号雲龍型特集〕、当時の航空本部総務部長であった大西瀧治郎が中心として書かれた『航空母艦整備方針に関する意見書』〔丸 2012年10月号雲龍型特集p.72によると『急速建造航空母艦型に関する計画要求概要』〕を提出、構造の簡単で建造の容易な、戦時急造艦のような最低限の防御力をもった空母の新規開発を主張した〔「日本の航空母艦パーフェクトガイド」(学研)p135~136「航空本部の急増空母案」〕。艦政本部は工数が雲龍型と大差無いなどの反論を行い、軍令部は雲龍型の建造継続を決定した〔。 結局マル急計画で1隻、改マル5計画で13隻の計14隻の建造が計画されたが、その後の戦局悪化、資源不足などにより実際に起工されたのは6隻に留まる〔。そのうち竣工したのは雲龍・天城・葛城の3隻のみである。 太平洋戦戦争の戦局の悪化により、笠置・阿蘇・生駒の3隻は途中で建造中止となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲龍型航空母艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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