|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 口 : [くち] 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening ・ 口径 : [こうけい] 【名詞】 1. aperture 2. bore 3. calibre 4. caliber ・ 径 : [けい, わたり] (n) diameter ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship ・ 艦載 : [かんさい] (n,vs) carried aboard a warship ・ 砲 : [ほう] 1. (n,n-suf) gun 2. cannon
本項では、ソビエト連邦で開発された56口径100mm艦載砲と、中華人民共和国におけるその改良型について述べる。 == ソビエト連邦 == 56口径100mm艦載砲の開発は、イワノフ技師の指揮下に、ボルシェビク工場にて1936年より着手された。これは、その前年に行なわれたB-14砲の試験の不首尾によるものであり、新しい砲はB-34砲と呼ばれることになった。 プロトタイプは1937年中頃に完成し、8月には試験が行なわれたが、同年中には変更を加えるために工場に逆戻りした。1941年初頭までに、これらの砲の最初の量産型が42門、海軍に引き渡されたが、これらはいずれも動作に問題を抱えていたといわれている。B-34砲を最初に搭載した艦はキーロフ級巡洋艦であった。 1941年には改良型のB-34Uが開発されたが、第二次世界大戦の影響で、量産開始は1946年までずれこむことになった。B-34Uにおける改良点は、他の100mm砲と同様に半自動式の気圧式閉鎖機を導入した点であった。しかしB-34Uにおいてもなお、装填時の砲尾動作不良や信管の設定不良などの問題は残存しており、これらの是正は、1948年に開発された B-34-USMを待たねばならなかった。 B-34-USMの生産は1949年より開始された。また、1951年にはスフェラ-50射撃指揮システムとの連接による方位盤射撃が可能となった。 しかしながら、航空機の高速化に伴い、ソビエト連邦海軍は追随性の優れた76mm・57mm砲に重点を移し、B-34砲の搭載は行なわれなくなっていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「56口径100mm艦載砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|