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第六五三海軍航空隊(だい653かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。あ号作戦に参戦した機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として整備され、マリアナ沖海戦・台湾沖航空戦・レイテ沖海戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。 == 沿革 == 従来の空母飛行隊は、各空母に所属し、艦長の指揮下にあった。この指揮系統では、航空戦隊司令部が飛行隊を直接指揮することができない。また、飛行隊が行動中に母艦が機能不全に陥った場合、僚艦への緊急着艦に手間取ることがあった。そこで、母艦と飛行隊の指揮系統を分離し、全ての飛行隊を統括する部隊として発生した。これは先に陸軍飛行隊が実施していた「空地分離方式」を海軍が採用した最初の例で、あ号作戦後は基地航空隊でも積極的な空地分離を実施した。六五三空は瑞鶴飛行隊を基幹とし、第五十一航空戦隊の訓練生を補充して発足した。とはいえ、瑞鶴飛行隊は昭和18年11月の「ろ号作戦」で壊滅的な消耗を経験しており、大多数は五十一航戦の訓練未了生で占められていた。瑞鶴には新たに編成された第六〇一海軍航空隊が搭載され、六五三空はマリアナ諸島・パラオ諸島への緊急輸送のために空船となった千歳・千代田・瑞鳳に搭載されることになった。三航戦の空母はいずれも飛行甲板が短いことから、助走が長い彗星の搭載は断念された。定数は戦闘機60・攻撃機27である。 * 昭和19年(1944年) : 2月15日 笠之原飛行場を原隊とし、岩国飛行場で開隊。第三航空戦隊に編入。 : 4月4日 天山を調達、天山の訓練を開始。 : 5月10日 三航戦に出撃命令。千歳、10日に三津浜出航。千代田・瑞鳳、11日に佐伯出航。 : 5月16日 三航戦、タウイタウイ島に到着。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第六五三海軍航空隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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