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7TPは第二次世界大戦で使用されたポーランドの軽戦車である。イギリス製のヴィッカース 6トン戦車のライセンス生産型だが、ポーランド独自の改良が施されている。7TPは1939年のドイツによる侵攻当時、ポーランド軍が装備する最も強力な戦車であった。 == 開発と生産 == ヴィッカース 6トン戦車(ヴィッカースMk.Eとしても知られる)は、当時旧式化したルノー FT-17 軽戦車の更新需要を狙って、英ヴィッカース・アームストロング社により1920年代末に開発され、1930年代にかけて各国に輸出された。ポーランドは1931年に50輌の購入契約を結ぶとともにライセンス生産権を入手した。購入契約をした50輌に関しては、うち38輌がポーランドに到着した。これらはすべて双砲塔型のType Aだったが、後にパーツが追加購入され、22輌が単砲塔のType B仕様に改修された。 ポーランドでの生産型はオリジナルのヴィッカースMk.Eのままではなく、試作車であるVAU-33("VA"はヴィッカース・アームストロング、"U"は国営工廠のウルスス部門、もしくは改善を意味するポーランド語"ulepszeny"の頭文字、"-33"は1933年型をそれぞれ示す)において独自の改良が施された〔Janusz Magnuski(1996), p7〕。 最大の改良点は、オリジナルのアームストロング・シドレー「ピューマ」空冷水平対向4気筒ガソリンエンジン 80hpから、「PZInż.235」(スイスのザウラーVBLDbの出力向上型であるVBLDdの国産版。出力がVBLDbの92hpからVBLDdでは110hpに向上している。PZInżはワルシャワ近郊のウルススにある「Państwowe Zakłady Inżynieryjne」(国営技術工廠)の略称、現在は農業機械企業持ち株会社ポルモット・ホールディング株式会社の子会社であるウルスス株式会社のワルシャワ工場)液冷倒立直列6気筒ディーゼルエンジンに換装したことで、これにより機関室は戦闘室と同じ高さまで増積された。また、車体各部の装甲厚もMk.Eよりわずかに厚くされ、重量が2tほど増えたので、サスペンションも強化された。 このポーランド国産の改良型は最終的に7TP(ポーランド軍7トン戦車、ただし重量は結局9トンを越えている)と名付けられた。1934年に生産が開始されたが、初期に生産された型は暫定的にヴィッカース6t戦車Type Aと同じ双砲塔にwz.30機関銃(7.92mm)を装備した。主量産型はボフォース 37mm対戦車砲の車載型であるWz.37戦車砲を搭載した単砲塔型で、1937年末もしくは1938年に生産が開始された。 単砲塔型は、1939年の第二次世界大戦開戦時にポーランドが保有していた戦闘車輌の中で最も有力なものであった。しかし、開戦までに生産されていた7TPは130輌から140輌程度に過ぎず、実戦での活躍はごく限られたものだった。 ポーランドを占領したドイツ軍は鹵獲した7TPを「Pz.kpfw.7TP(p)」として、占領地の警備などに用いていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「7TP」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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