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89式120mm自走対戦車砲(89しき120mmじそうたいせんしゃほう、、PTZ-89)もしくは89式120mm対戦車自走砲(89しき120mmたいせんしゃじそうほう)は、中華人民共和国の自走対戦車砲(対戦車車両)である。 ==開発== 1970年代の装甲の進歩と爆発反応装甲等の増加装甲の開発は急速に対戦車兵器を陳腐化させていた〔。戦車砲もまたその例に漏れず、対抗手段として大口径化〔例:レオパルト1の105mm砲からレオパルト2の120mm砲へ、T-64の115mm砲からT-64Aの125mm砲へ〕やAPFSDSに代表される貫徹力の高い砲弾の開発が行われていた。そこで中華人民共和国は1970年代末、T-72に対抗可能な西側諸国と同等の120mm滑腔砲の開発に着手した。これは、ラインメタル 120 mm L44の技術取得に失敗し、自力開発を余儀なくされたことによるものである。 当時、120mm砲の開発自体は1967年に開始された第二世代戦車の開発の中で行われており、120mm低圧砲の開発に成功していた。さらに1969年3月2日のダマンスキー島事件によりT-62を鹵獲、これに搭載されていた115mm滑腔砲により中華人民共和国の砲は技術的な進歩を果たした〔。しかし当時は文化大革命のただなかであり、この成果が実を結ぶのは73式100mm対戦車砲を待たねばならなかった〔一部のメディアではMT-12対戦車砲のコピーとされている。〕。これを主砲として69-I式戦車に装備を計画したが、これは果たせなかった。さらに120mm高圧砲も完成し、これを搭載する戦車もWZ-112として計画されたが、砲口初速1,580m/sにすぎず威力的には不十分であったため不採用となった〔〔この砲でT-72に対抗するには、砲口初速2,000m/sが必要と試算されていた。〕 世界との差を認識し、105mmライフル砲については西側の技術を導入し〔交渉相手は西ドイツ(ラインメタル)。この時120mm砲は、開発中であったため導入しなかったことが自主開発につながっている。〕〔、T-72の装甲を模して傾斜68度、装甲厚204mmの複合装甲からなる681複合標的を作成するなど〔、120mm戦車砲の開発が進行するさなかの1978年12月には120mm対戦車砲の開発も決定した〔。要求仕様は距離2,000mでT-72の装甲を打ち抜けることであった〔。1979年2月19日には初の試射を行い〔、1980年には砲口初速1,700m/sに達し、120mm厚の装甲なら1,300m/s、204mmの装甲なら1,411.2m/sで打ち抜くところまで到達した〔。だが、戦車砲としてソビエト製戦車と同口径の125mm滑腔砲が採用されることになり120mm砲は対戦車砲としての開発が続けられるのみとなった〔〔〔。 最初に行われた第247設計所による62式軽戦車への搭載計画は、120mm砲の反動に対して小型・軽量に過ぎ実用化のめどが立たず失敗した。次いで第447設計所が独自に開発を継続し、この対戦車砲を83式152mm自走榴弾砲と同じ321式多用途車両に搭載する計画は1984年9月に承認された。同年中に試作車が完成、1985年には北京の南口にてデモンストレーションを行った〔この時示された120mm砲の威力はソースにより異なる。最低でも400mmの均質圧延鋼装甲を1000mで貫通可能であった。〕。1989年には初期生産型20両の生産が認められ、翌年制式化された〔。1989年の40周年パレードに参加する予定であったがこれは果たせず、公開は1991年の中国中央電視台によるテレビ放送となった〔。 89式120mm対戦車自走砲の開発は数々の技術的進歩をもたらしたが、当の89式120mm対戦車自走砲自体は開発完了後の国際情勢の変化、兵器の進歩や戦術の変化もあって趨勢に合わない装備となり生産数は100両程度と見込まれている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「89式120mm自走対戦車砲」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Type 89 (tank destroyer) 」があります。 スポンサード リンク
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