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『全国ポピュラーベストテン』(ぜんこくポピュラーベストテン)は、火曜会の企画で、文化放送が制作受託し、文化放送と火曜会加盟のAM局で2006年3月期まで約44年間放送されていた、洋楽チャートラジオ番組。いわば、SUPER COUNTDOWN 10の洋楽版であった。パーソナリティは音楽評論家の八木誠。 毎年年末には、文化放送の扇一平アナや太田英明アナウンサーを交え「全国ラジオ音楽賞・ポピュラー部門」が発表されていた。 TOKYO FMの「ポップス・ベスト10」よりも歴史が古い長寿番組であった。 なお、この項では前身番組に当たる「9500万人のポピュラーリクエスト」「オールジャパン・ポップ20」「ALL JAPAN TOP20」についても述べる。 == 歴史 == *前身は、1963年4月に放送を開始した「9500万人のポピュラーリクエスト」(9500まんにんのポピュラーリクエスト)。パーソナリティは小島正雄。毎週番組に寄せられたリクエスト葉書の数によってランキングを決定し、21位まで発表する形式。なお「21位」と中途半端なのは、「今週のベストテン」(東京放送)や「東芝ヒットパレード」(ニッポン放送)といった当時の先発番組と差別化を図るためだったという。開始翌年には1週間に1万枚を超えるリクエスト葉書を集める人気番組となる。 *1967年5月より、小島の降板に伴い番組名を「オールジャパン・ポップス20」に変更。パーソナリティは当時文化放送のアナウンサーだった土屋恵。ランキングも40位までの紹介となる。番組開始後ほどなく「ポップス20」から「ポップ20」に改題。以後、何度かのパーソナリティ変更(後述)を経て、同タイトルでの放送は1985年3月まで続く。 *1985年4月より、小林克也をパーソナリティに迎え、「ALL JAPAN TOP20」(オール・ジャパン・トップ20)とタイトルを改めスタート。ネット局などはほとんど変更がなかったものの、ランキングの紹介は20位までとなり、得点も廃止された。 *ところが1986年1月より、地方局向けに八木誠のパーソナリティによる「ALL JAPAN TOP20」がスタートする。いわゆる「裏送り」バージョンで、同年3月までは小林克也版(文化放送のみでオンエア。文化放送制作)と八木誠版(地方局向け。火曜会制作、文化放送制作受託)、2つの「ALL JAPAN TOP20」が存在することとなった。なお、これら2つのバージョンは、ランキングも微妙に異なるものであった。 *1986年4月より、八木誠版「ALL JAPAN TOP20」は「全国ポピュラーベストテン」に改題。文化放送ではそのまま小林による「ALL JAPAN TOP20」の放送が80年代後半まで続いた。 *2006年4月2日の放送(文化放送において)をもって長寿番組の幕を下ろした〔ちなみに最終回の第1位はジェームス・ブラントの「ユア・ビューティフル」であった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「全国ポピュラーベストテン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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