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九七式中迫撃砲(97しきちゅうはくげきほう)は、大日本帝国陸軍の迫撃砲である。年式は皇紀2597年(昭和12年:西暦1937年)を示す九七式であるが、これは設計着手年度から取ったものと思われる。実際の制式制定は1942年(昭和17年)6月であった。 なお、先行する兵器である九六式中迫撃砲が制式制定されたのも1939年(昭和14年)4月であり、この点、年式と実際の制式制定年次に大きな相違があるので注意が必要である。 ==概要== 本砲は九六式中迫撃砲から駐退復座機を省略して運動性の向上と構造の簡略化を図ったものである。同砲と同じく滑腔砲であり有翼弾を発射する。 1937年(昭和12年)12月設計に着手、翌年二度に亙る試験を行い、「長」「短」の二種を製造することとなり、同年10月には両者の試験を行っている。同様に前作から駐退復座機を割愛して運動性の向上を図った九七式軽迫撃砲と同時期に並行する形で研究され、「短」は1941年(昭和16年)1月、「長」は同年4月に実用に適すると認められ、1942年(昭和17年)6月に制式制定された。「長」は九七式軽迫撃砲と同様に必要に応じて木製の大型副床板を鋼製の本床板の下に敷く形となっている。この木製副床板の重量は370kgに及び、「長」の総重量は九六式中迫撃砲とほとんど変わらなかった。 なお、本砲「短」より更に床板を小さくし、砲身を短くして、短射程を忍び軽量化した試製九九式短中迫撃砲が試作されたが制式制定はなされずに終わった。砲身長1215mm、放列砲車重量152kgで射程は770mと、九九式小迫撃砲や擲弾筒に近い兵器だった〔「日本陸軍の火砲 迫撃砲 噴進砲 他」131-132頁。〕。 九七式軽迫撃砲は墜発のみであるが、本砲は九六式中迫撃砲同様、墜発、撃発のどちらも可能とされている。実質的な後継砲である二式十二糎迫撃砲もまた同様であった。 大阪造兵廠第一製造所の調査によると1942年(昭和17年)10月現在までの生産数(火砲製造完成数)は171門であった。〔「日本陸軍の火砲 迫撃砲 噴進砲 他」129頁。〕その後は後継砲である二式十二糎迫撃砲の生産に移行した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九七式中迫撃砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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