|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 式 : [しき] 1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style ・ 重 : [おも] 1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important ・ 重爆 : [じゅうばく] (n) heavy bomber ・ 重爆撃機 : [じゅうばくげきき] (n) a heavy bomber ・ 爆 : [ばく] 1. (int) exclamation 2. burst of laughter ・ 爆撃 : [ばくげき] 1. (n,vs) bombing (raid) ・ 爆撃機 : [ばくげきき] (n) bomber ・ 機 : [き, はた] (n) loom
九七式重爆撃機(きゅうななしきじゅうばくげきき)は、大日本帝国陸軍の重爆撃機。キ番号(試作名称)はキ21。略称・呼称は九七式重爆、九七重爆、九七重など 。連合軍のコードネームはSally(サリー)〔背面銃座を旋回砲塔に換装した二型乙(キ21-II乙)で機体の外観が変わったため、その登場当初は別機種と判断されGwen(グウェン)のコードネームが与えられていた。のちに元のSallyへと統一。〕。開発は三菱重工業、製造は三菱および中島飛行機〔中島は一型(キ43-I)を351機製造。〕。 1937年(昭和12年)に制式採用され、支那事変(日中戦争)中後期、ノモンハン事件、太平洋戦争(大東亜戦争)初中期における帝国陸軍の主力重爆として活躍した。 == 開発 == 1935年(昭和10年)9月、陸軍は九三式重爆撃機(キ2)の後継機となる新型重爆の試作を内示し、翌1936年(昭和11年)2月に中島飛行機にキ19、三菱重工業にはキ21の試作が指示された〔名称については、試作指示時は両者ともキ19で、増加試作時に三菱の機体に対して改めてキ21の名称を与えたという資料もある。〕。主な要求は、 * 双発単葉機、エンジンは中島製ハ5または三菱製ハ6を装備 * 最高速度は400km/h以上 * 航続時間は5時間以上 * 爆弾搭載量は750kg(最大1,000kg) * 試作機2機を1936年10月までに完成 というものだった。 三菱は要求された期限より若干遅れ同年12月にハ6を搭載したキ21試作機2機を完成させた。陸軍による翌年の審査では三菱のキ21も中島のキ19も要求値をクリアしており甲乙付け難い性能を示したが、結局陸軍は三菱の機体を採用することとし、代わりにエンジンは中島製のハ5を搭載することを決定した。この決定に基づいてキ21増加試作機の生産が指示されたが、増加試作機ではハ5への換装の他、キ19が勝っていた機能要素(前方銃座の形状、爆弾倉の形状など)をキ21に盛り込むことが要求されていた。 完成したキ21増加試作機は最大速度を筆頭に、同世代で同規模の海軍九六式陸上攻撃機を上回る高性能を示しており、また九六式陸攻と異なり爆弾倉/爆弾倉扉・機首風防/機首銃座・防弾装備を備えるなど、より近代的かつ本格的な日本初の爆撃機であり、これは1937年(皇紀2597年)に九七式重爆撃機として制式採用された。 同年に勃発した支那事変(日中戦争)に投入された九七式重爆は活躍したが、航続距離不足・ハ5改信頼性不足という問題もあるため、1939年(昭和14年)11月にはエンジンの強化を中心とした性能向上型キ21-IIの開発が指示された。主な変更点はエンジンを1,450馬力の三菱製ハ101に換装、主輪の完全引込化、武装・防弾装備強化などであった。審査の結果大幅な性能向上が認められたため、1940年(昭和15年)12月に九七式重爆撃機二型として制式採用された。このためハ5改を装備する従来の九七式重爆は一型(キ21-I)となっている(一型との外見上の区別点は大型となったエンジンナセル)。この九七式重爆二型(キ21-II)は最多生産型として1944年(昭和19年)9月まで量産され、太平洋戦争期の主力型となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「九七式重爆撃機」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mitsubishi Ki-21 」があります。 スポンサード リンク
|