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ATS・D7は、ATSチームがのF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはグスタフ・ブルナー。ATSにとって最後のマシンとなった。 ==概要== ATS・D6の改良型として開発し、カーボンファイバーモノコックを採用。エンジンは前年に引き続きBMW M12/13を搭載、ピレリタイヤを装着。ドライバーはマンフレッド・ヴィンケルホックが残留し、第12戦オーストリアグランプリから地元出身のルーキー、ゲルハルト・ベルガーがドライブ。 D7はその強力なBMWターボエンジンのおかげで驚異的なスピードを発揮し、予選では中団グリッドにつく走りを見せるが、マシンの信頼性やチーム内の運営等に問題があり、リタイア数10回を数えた。ベルギーでヴィンケルホックは予選6位に付け、決勝では序盤フェラーリのミケーレ・アルボレート、ルネ・アルヌー、ルノーのデレック・ワーウィックに次いで4位を走行したが、39ラップ目に排気系トラブルでリタイアした。次戦のサンマリノでも予選7位から決勝ではポイント圏内の6位を走行したものの、ターボトラブルでリタイアとなった。 ヴィンケルホックは速いが信頼性に欠けるD7で完走したのは2度のみで、カナダとダラスでの8位であった。ベルガーの走らせたマシンはヴィンケルホックよりは信頼性が増し、エステルライヒリンクでは12位で完走した。第14戦イタリアグランプリでは6位入賞を果たしたが、開幕時点では1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンを走らせていたベルガーにチャンピオンシップポイントは与えられなかった(このケースはオゼッラから参戦していたヨー・ガルトナーも同様)。 ベルガーによるモンツァでの6位にも関わらず、D7は1984年シーズンにポイントを得ることができなかった。BMWは翌シーズンのATSへのF1エンジン供給を取りやめ、ギュンター・シュミットはチームのシーズン終了後のF1撤退を決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ATS・D7」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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