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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
A.C.グリーン(A.C. Green Jr.、1963年10月4日 - )はアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元バスケットボール選手。ファーストネームの "A.C." は略称ではなく、これが本名である。 NBAでプレイし、1,192試合連続出場の記録保持者である。1987年、1988年、2000年のNBAチャンピオン、ロサンゼルス・レイカーズのメンバー。身長206センチ。ポジションはフォワード。愛称は「Iron Man(鉄人)」。 == 経歴 == 1985年にオレゴン州立大学を卒業、同年にロサンゼルス・レイカーズに1順目23位で指名された。新人のシーズンに全82試合に出場。翌シーズンは3試合に欠場したものの、それ以降は引退するまで欠場することはなかった。マジック・ジョンソン、ジェームズ・ウォージー 、カリーム・アブドゥル=ジャバーと共にプレイショータイムと呼ばれたレイカーズのNBAファイナル2連覇に貢献した。1989年から1991年にもNBAファイナルに出場している。 1993-94シーズン開始に先立ちフェニックス・サンズに移籍。1996年のシーズン途中でジェイソン・キッドが絡んだ大型トレードでダラス・マーベリックスに放出された関係で、このシーズンは規定の試合数より一つ多い83試合に出場。1999年には古巣のレイカーズに戻り、そのシーズンのレイカーズの優勝に貢献した。翌シーズンはレイカーズ時代の恩師パット・ライリー率いるマイアミ・ヒートでプレイ。2001-02シーズンはレイカーズ時代のチームメイトのバイロン・スコットがヘッドコーチを務めていたニュージャージー・ネッツでのプレーを望んでいたものの、結局は実現せず引退を決意。16年間の選手生活に幕を閉じた。 生涯通算得点は12,331、リバウンドは 9,473。平均得点は9.6、平均リバウンドは7.4。生涯通算出場試合数は1,278試合だった。全試合に出場したシーズンは14あり、これはジョン・ストックトンとならびNBA歴代1位。2年目の1986-87シーズンで出場しなかった3試合は、怪我や病気によるものではなくパット・ライリーヘッドコーチの判断によるものだった。 熱心なクリスチャンとしても知られ、結婚するまでバージンを公言していたのは有名。自ら純潔運動団体"A.C.グリーン・ファンデーション" を設立。現役から引退までバージンを貫き、2002年4月20日、39歳で結婚した。現在はアリゾナ州で教会の牧師を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「A.C.グリーン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 A. C. Green 」があります。 スポンサード リンク
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