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BL・プリンセス(Princess)は、イギリスの自動車メーカー・ブリティッシュ・レイランドが1975年から1984年まで生産した中型乗用車である。当初はオースチン・モーリス18/22(Austin/Morris 18/22)及びウーズレー(Wolseley)という名称であった。 1964年以来作られていたアレック・イシゴニス設計の前輪駆動車、オースチン/モーリス・1800/2200及びウーズレー・6の後継車種として登場したが、好みの分かれるスタイルに加え、デビューがイギリス自動車産業の退潮期と重なり品質低下に悩まされたため、2度にわたる名称変更や5ドア化を含む大規模なマイナーチェンジを行ったものの、結局、満足な販売実績を収めることが出来なかった。開発コードネームはADO71であった。 == 概要 == ADO17との最大の相違はそのスタイリングで、全長・全幅・全高・ホイールベースはそれぞれ4,445mm/1,730mm/14,09mm/2,667mmである。これは、それぞれ4,200mm/1,700mm/1,410mm/2,700mmのADO17と比較すると長く・低く・幅広くなったうえにホイールベースが短縮されており、「陸上の蟹」(Landcrab)というニックネームが付けられていたADO17よりも通常の乗用車のプロポーションに近づいた。その意味では、より一般的な市場を狙ったはずであったが、オースチン・アレグロやトライアンフ・TR7/8のデザインでも知られるハリス・マンのスタイルは好悪が分かれる個性的なウェッジシェイプ(くさび形)で、同様に賛否両論となり、英国では「ザ・ウェッジ」という、まるでスーパーカーのようなニックネームが与えられた。ハリス・マンは当初からハッチバック5ドアでデザインしていたが、このクラスの車の購買層の反発を恐れた経営陣はトランク付きでの発売を決めた。ADO71が5ドアになるのは7年後、より上級のローバー・SD1が5ドアで登場してから6年も経った1982年に、「オースチン・アンバサダー」と再度改名された時であった。〔ワゴン版も計画されたものの、最後まで生産化されなかった。〕 こうした経緯のためか、フロント部分とトランク・テール部分のデザインは特にアンバランスで「別の人がお互い相談無しにデザインしたようだ」と酷評された。〔イギリスの中古車価格ガイドブック「Parker's Car Price Guide」1990年代の版の記述〕 エンジンやギアボックスはADO17と共通、従って同様に動力性能はマイルドであった。〔イギリスの自動車雑誌「オートカー」誌1975年3月号によると2200HLの最高速度は167km/h、0-60マイル加速は13.5秒で、空力的に有利なはずのウェッジシェイプのスタイルにもかかわらず、フォード・コンサル 2500Lの175km/h・10.4秒より大幅に遅く、DOHC1800ccエンジンのフィアット・ 132GLSよりも僅かに遅いほどであった。反対に燃料消費は優秀で20.7mpgを記録、フォードは18.1mpgであった。〕サスペンションはアレグロ同様、ADO16/17の前後関連式「ハイドロラスティック」サスペンションを改良したハイドラガスサスペンションが用いられ、目標としたシトロエン・CX並みの乗り心地はほぼ達成されたと評された。1975年当時でもまだこのクラスでは主流になっていなかったエンジン横置きの前輪駆動レイアウトと良いシートによる良好な居住性もあって、快適性がADO71の最大のセールスポイントとなっていた。 プリンセスの販売は当初こそ好調であったが、当時のBL製品に共通する品質低下から次第に人気が下降、1979年の第二次石油危機以降、中型車の人気が低下したこともあって不人気車となり、大規模なマイナーチェンジ前の1981年までの生産台数は224,942台に留まった。日本では正規輸入・販売はされていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「BL・プリンセス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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