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bice(ビーチェ、1972年4月11日 - 2010年7月26日)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。埼玉県出身。血液型はB型。本名は来嶋 優子(きじま ゆうこ)(旧姓:中島)〔bice *ビーチェ official web site 、2010年7月30日、2010年8月20日閲覧〕〔女性シンガーソングライター・biceさん急死…38歳心筋梗塞 - スポーツ報知、2010年7月31日、2010年8月20日閲覧〕。 == 来歴 == 1994年に旧姓名の中島優子でシンガーソングライターとしての活動を開始し、同年6月、全曲の作詞・作曲を自身で手がけたアルバム、『おいつけ! おいこせ!』でフォーライフ・レコードよりデビュー。初期の快活なポップス路線から、Oh! penelopeとの共同制作をきっかけにロック色を強めてゆき、自ら編曲・プロデュースにも関るようになっていった。またボーカル・スタイルも辻睦詞のアドバイスにより〔columbia readymade公式 biceインタビュー 2008年6月18日付 〕、後にbice名義作品の特徴となるウィスパーボイス的な歌い方が、中島名義最後の作品となった『チャームレス?』(1996年)の数曲で試みられた。 1998年4月、自身の音楽嗜好により忠実な音楽を追求するべくbiceに改名し、インディーズ・レーベル、アンダーフラワーよりミニアルバム『Spotty Syrup』を発表。大手CDショップの店舗チャートの上位に食い込む小規模なヒットとなり〔ライブイベント「Well Known Act Vol.1」公式 biceプロフィール (2001年)〕、同年7月にポニーキャニオンよりマキシ・シングル『bice』でメジャーに再進出。2000年、当時設立されたばかりのソニー傘下のメジャーレーベル〔株式会社アウトサイド・会社概要 〕、アウトグループ・レコードに移籍したが、それから半年も経たずして親会社アウトサイドが突然解散したため〔アウトサイド業務終了告知 〕、発表したばかりのシングル『ツイオク』はすぐに廃盤、リリース目前であったアルバムは発売中止となり〔bice 旧公式サイト 2000年のNEWS 2000年10月1日付「悲しいお知らせ....11月1日に発売のbice1stアルバム『Nectar』が、所属レコードレーベルの突然の解散により、リリースが中止になってしまいました」〕、再移籍を余儀なくされた。2001年に徳間ジャパンに移籍後は、発売中止を乗り越えたアコースティック基調のスタジオ作品『Nectar』、自宅録音を中心とした意欲作『let love be your destiny』、と代表作となる2枚のアルバムを発表し、評価を確立する。この2枚を聴き、その才能に瞠目した小西康陽の招きにより〔columbia *readymade 小西コラム2007年6月22日更新分 「そして女性シンガー・ソングライターbiceさんの2枚のアルバムの素晴らしさを知ることが出来ただけでもぼくにとっては大きな収穫となりました」〕〔『bossa nova 1991』 (columbia *readymade 2007年8月8日)ライナーノーツ「二枚のアルバムには欠点と呼べるようなものがまったく見当たりません。聴けば聴くほどこの人の才能の底知れない大きさに、戦慄を覚えました」 〕〔『うたとギター。ピアノ。ことば。』(columbia *readymade 2008年4月23日)ライナーノーツ「彼女の音楽をはじめて聴いたのは、昨年リリースしたコンピレイション『bossa nova 1991』の選曲をしているとき。あまりに素晴らしい音楽に驚き、逢いに行ったのを覚えています。」〕、columbia * readymadeに移籍し、2008年に最後のアルバムとなった『かなえられない恋のために』を発表した。 1997年から自身の活動と平行して、他のアーティストへの楽曲提供、編曲を始める。また渡辺善太郎のソロプロジェクト atami や、カジヒデキ、SUGIZO〔biceの活動初期から高く評価し、彼女についてしばしば言及している。SUGIZO公式・インタビュー1999年 「彼女とは、お互いにリスペクトし合っているファミリーみたいな感じ。詩も曲もプロデュース・ワークも、ミキシングもマスタリングも自分でやろうとしている人。ふつうはさ、女の子のミュージシャンと話をすると、俺の音楽オタク的な部分ではなかなか共通言語が見出せないんだけど、彼女は違った。機材のこともものすごくよく知っているし、たいした人ですよ」〕、NORTHERN BRIGHTなどの作品への歌手としての参加、英国のフォーク・バンド、チューダー・ロッジ日本公演の演奏サポート、テレビドラマやテレビアニメのサウンドトラック(一部はアンネ名義)、CM音楽の製作など多岐にわたった活躍を見せ、2004年には、作編曲・歌・ナレーションを担当した松下電器産業(現 パナソニック)のCMが第33回フジサンケイグループ広告大賞メディアミックス部門グランプリを受賞した。 2010年7月26日、心筋梗塞のため自宅で亡くなっていたことが、夫である来嶋勇人により公式ホームページにて7月30日に公表された。ブログ更新から2日後の急逝であった。38歳の若さだった。葬儀・告別式は近親者のみで行われ、2010年8月8日、関係者により「biceを送る会」が営まれた。一周忌にあたる2011年7月26日、公式HPが追悼サイトにリニューアルされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Bice」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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