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ピエール・ブーレーズ(ブレーズ、ブゥレーズとも表記される。前の長音は後ろの長音の半分の長さであると本人は語っている Pierre Boulezの発音例 )(Pierre Boulez、1925年3月26日 - 2016年1月5日)は、フランスの作曲家および指揮者。 == 人物 == パリ国立高等音楽院でアンドレ・ヴォラブール(アルテュール・オネゲルの妻)とオリヴィエ・メシアンに対位法や作曲を師事するが中退し、ルネ・レイボヴィッツ(レボヴィツ、レボヴィス)にセリアリスムを学ぶ。作曲の弟子にはバーゼルの音楽大学で教えたハインツ・ホリガーがいる。ダルムシュタット夏季現代音楽講習会でその初期から活躍し注目される。シュトックハウゼンと共鳴するが、ノーノとは鋭く対立している。 初期にはヴェーベルンの極小セリー形式から出発。シェーンベルクの音楽に対しては次第に批判的となる〔「シェーンベルクは死んだ」という評論もあり、そのタイトルが当時は物議をかもした。〕。また、後にはドビュッシーやストラヴィンスキーの再評価に務めた。詩人では最初にルネ・シャールを取り上げるが、後にはステファヌ・マラルメによる作品を書き、指揮活動としても徐々に前の時代の作曲家へと遡って評価する姿勢が見られる。 ジョン・ケージと往復書簡を交わすほかダルムシュタットなどで交流し、偶然性を導入する。ただしケージなどアメリカ作曲界は偶然性を不確定性(チャンス・オペレーション)として導入したのに対し、ブーレーズをはじめヨーロッパ作曲界は「管理された偶然性」とし、偶然性の結果によってどんなに音楽が異なる解釈をされようとも、全体としては作曲者の意図の範囲で統率されるべきとした。この考えに基づく作品としては「ピアノソナタ第3番」、『プリ・スロン・プリ - マラルメの肖像』などが挙げられる。 フランス国立音響音楽研究所IRCAMの創立者で初代所長(現在は名誉総裁)。1976年、コレージュ・ド・フランス教授に選出。現在はフリーで活躍。1960年代からドイツのバーデン=バーデンで暮らした。 1989年、第一回高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門を受賞した。 2009年、京都賞を受賞する。その際催されたトークイベント(京都日仏学館)において,聴衆の一人から「人生における普遍的なあるべき考え方」を問われたところ,ブーレーズ氏は「好奇心を持ち続けること」と述べた。 2015年、生誕90年を記念してドイツ・グラモフォンがブーレーズが指揮した自作を含む音源をまとめた44枚組のCDを発売した。 2016年1月5日、バーデン=バーデンの自宅で死去〔仏作曲家のピエール・ブーレーズ氏死去=90歳、現代音楽の巨匠 、時事通信、2016年1月6日、同年1月7日閲覧〕。死因は明らかにされていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエール・ブーレーズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pierre Boulez 」があります。 スポンサード リンク
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